SSブログ
天災・自然災害 ブログトップ
前の15件 | 次の15件

房総半島南東沖で「M8」級の可能性 [天災・自然災害]

M8.jpg
5月31日付産経新聞の記事を紹介します。   事務局

房総半島南東沖で「M8」級の可能性 予知連で報告 (産経新聞) 

 関東大震災などの大地震が起きる相模トラフ沿いで、房総半島南東沖のプレート(岩板)境界が単独で滑り、数百年間隔でマグニチュード(M)8級の地震を起こす可能性のあることが産業技術総合研究所の調査で分かった。30日の地震予知連絡会で報告された。

 相模トラフはフィリピン海プレートが陸側プレートの下に沈み込む場所で、M8級の関東地震が起きる。震源域は相模湾と房総半島南東沖に大別され、前者は関東大震災の震源域で、両者が連動すると大規模な元禄型関東地震が発生。房総半島南東沖が単独で地震を起こすことは想定されていなかった。
 元禄型関東地震の発生間隔は約2300年とされるが、プレートの沈み込み速度や房総半島の隆起年代と矛盾する点があり、南東沖だけが頻繁に動くとうまく説明できるという。過去の活動歴は分かっていない。

東京湾は時限爆弾 [天災・自然災害]

東京湾炎上.JPG

刺激的な表題です。フライデー6月1日号です。東京湾は時限爆弾であるとまで言っています。この記事を読んでみましょう。

東京湾は時限爆弾だ

 東京湾北部を震源とする直下型地震が起きた場合、3・11の比ではないことは明らかだ。より大規模な液状化によって、タンクが沈み込み、倒壊する可能性もある。さらに津波も押し寄せる。震災の時ですら、東京都江東区~千葉県浦安市の沿岸部では大規模な液状化が発生し、1~2m強の津波が襲った。神奈川県と千葉県によれば、直下型地震によって川崎市で最大3・7m、千葉市中央区で2・9m、木更津で3mの津波が想定されている。液状化で倒壊したタンクを津波が襲うような事態になれば、図2(次ページ)のように広範囲に油が流出すると見られている。濱田教授が警告する。

「東京湾にはスロッシングの起きやすい浮き屋根式タンクが600基あります。M7規模の首都直下型地震が発生すれば、その約1割で油漏れが発生し、海上火災が起きると私は想定しています」

 震災では、宮城県の気仙沼湾で、津波が襲った後、流出した重油や軽油が炎上して2日間燃え続け、約30万m2を焼いた。東京湾に大量の油が流出した状況で、コスモ石油の爆発火災のような事故が起これば、湾内は、まさに〝火の海〟と化すだろう。脆いコンビナートを抱えた東京湾は、地震で湾全体が炎に包まれかねない〝時限爆弾〟なのである。
たとえ火災が起きなくても、電力不足という危機が生じる。東京電力によれば、7月に供給が見込まれている電力5786万kWのうち約50%にあたる2685万kWが、東京湾にある12基の火力発電所(位置は図2を参照)でまかなわれることになるという。しかし、油の流出事故が起これば、この発電が止まる可能性がある。「海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律」に基づいて作成された「東京湾排出油等防除計画」で、海上保安庁は、油が流出した場合の船舶の航行を制限するとしているのだ。濱田教授が続ける。

「油が海上に大量流出すれば、東京湾での船の航行は禁止されます。仮に京浜臨海地区から油が1万2000kl流出した場合、航路は2ヵ月間も封鎖される可能性があります。油が混じった海水を冷却水として使用することはできないので、火力発電所も稼働できなくなるでしょう。つまり、被災直後に電力不足となり、救護・医療活動に2ヵ月もの間支障が出てしまうのです。我が国の存亡に関わる大問題です」

 東京湾炎上を避けるために一刻も早い対策が求められる。

                                            平凡な一市民


出前講座で参加者からでた意見 [天災・自然災害]

 出前講座で参加者から出た主要な意見を列挙してみよう。

1、県公表の「最大津波予測図と津波高」の袖ヶ浦に関する明細図を早急に整理し公開してほしい
2、地震によって、周辺にあるコンビナート火災が起きた場合、化学工場、石油備蓄タンク、ガスタンク等の破壊によって東京湾が火の海になるという想定が出ている。袖ケ浦市としての対策を立てるべきだ
3、住友化学、三井化学、東京瓦斯、東電等袖ヶ浦地域のコンビナートにある企業には重要であると同時に危険な企業が多い。それに劣化ウラン貯蔵の現実もある。それらに対する対策はどうなっているのか。
4、高須地区の住民は特に今回の発表に伴って、危険性を感じている。避難訓練をしても避難不可能であることの実態が明らかになったようなもの・・
5、埋め立て地は1200haの広さがある。液状化の恐れのある地域について緊急な実情把握を・・・
6、震度7になれば水道管はすべて破損する。貯水槽は現在どの地にどれだけの数があるか・・状況把握を

  細かなことになればまだあるが、これらの疑問に明確に答えられる組織の整備も、今のままの縦割り方式では課題解決は進まないであろう。危機管理課ができたのだから、消防署担当のコンビナート災害も、危機管理課に結集する形での組織化が必要であると思われるがどうか。
                                                事務局

首都機能の停止と袖ヶ浦 [天災・自然災害]

3・11で交通網がマヒした東京は、「東京湾北部地震」で完全にその首都機能が停止する。首都機能の停止理由に袖ヶ浦も関係があるので掲載しておく。       事務局

 もし、東京都が予測する震度7の首都直下地震「東京湾北部地震」が発生したら、どんな被害が想定されるのか。防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実氏が語る。

「3・11のとき、首都圏の多くは最大震度5強から5弱で被災したわけではない、ということを忘れてはいけない。首都直下型の地震が実際に起きれば、数十万軒の建物が倒れ、中にいる何万人もの人が圧死する。その直後に首都圏の至る所で火災が発生する。その規模は想像を絶するスケールとなる」

 3・11には、震度5強で都内の電車が全て停止した。震度7となれば、より大きな被害も起こり得る。災害・危機管理アドバイザーの和田隆昌氏はこう予測する。

「震度7の直下型地震が起きれば、おそらく脱線するでしょう。緊急地震速報と同時にブレーキングすることになっていますが、首都直下型の地震では、緊急地震速報とほとんど同時か、その前に本物の地震が起きてしまう。停止するチャンスすらないのです。さらに過密なダイヤで運行する山手線は列車同士の衝突も十分考えられる」

 電車だけでなく、道路も落下物や倒壊した建物が道路側に崩れ落ちて寸断されてしまう。3・11には主要幹線道路が徒歩で帰宅する人々で溢れかえったが、震度7の被害状況では徒歩移動が可能かどうかすら不透明だ。

 また、交通機関だけでなく、首都機能の生命線ともいえる水道、ガス、電気なども寸断される可能性が高い。特に心配されるのが、電力の復旧だ。
東京湾の東岸には5つの火力発電所(千葉、五井、姉崎、袖ケ浦、富津)が稼働していて、東電の約26%の電力を発電しています。これらの発電所は“液状化”という現象が発見される以前に建設されており、それらは砂の上に発電所が立っているようなものなのです。そんな状態で震度7の地震が起きれば、火力発電所が被災してしまう危険性がある」(和田氏)

 電力の供給停止は他のライフラインにも影響を及ぼす。

「東京はアップダウンがあって、モーターで水をくみ上げているエリアもある。つまり電力に依存していて、上水道管が復旧しても電力が復旧しなければ上水道が機能しない」(渡辺氏)

 3・11で交通網がマヒした東京は、「東京湾北部地震」で完全にその首都機能が停止する。

(取材/鈴木英介)

千葉県公表の「最大津波予測と津波高」と袖ヶ浦の課題 [天災・自然災害]

 上記課題についての、公開の学習討議の集いを下記日程で開催します。市役所危機管理課の職員が出席します。公開ですから、参加希望者はご遠慮なく直接参加してください。会費は無料です。

時  2012年5月12日(土)午後2時~4時
所  袖ヶ浦市民会館2F会議室
★  市職員からの説明があり、その後質問討議の予定です。

                                      市民が望む政策研究会・事務局

千葉県公表の最大津波高と浸水予測図、袖ヶ浦は? [天災・自然災害]

4月25日に千葉県は、津波による新たな浸水予測図と、元禄地震(1703年)を基にした最大津波高の見直し想定を公表した。わが袖ヶ浦市はどのようになっているのであろうか。千葉県の想定図を拡大してみた。
sodegaura.JPG
ハザードマップ索引.gif
この図から、すぐ下記の様なことがつぎつぎと危惧されてくる
① 浸水、液状化と海側開発の動向
② 市役所の機能不全への恐れ
③ 浸水地区の避難対策
④ コンビナート災害対策(劣化ウランを含む)
ちょっと見ただけでまだまだ出てくる。私たちの会では5月の例会で市役所担当課に依頼し、危機管理課の出前講座を設定した。期日は5月12日(土)午後2時からである。関心のある方はご遠慮なくどうぞ!
                        事務局

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

災害ボランティアに参加して~その4・最終回~ [天災・自然災害]

 今回の東日本大震災の災害ボランティアとして、おひとりで、登録手配し、車で参加してきた会員がいらっしゃいます。お話を聞くだけでは勿体無いので、お願いしてその記録を書いていただきました。4回に分けてお届けします。今回は4回目で最終回です。ぜひお読みください。     事務局 かわかみ


 今回のボランティアで、もうひとつの目的は、主な被災地を自分の目で見たかったことです。次のコースで回ってみました。岩沼市9時出発。国道45号線を通って石巻市→本吉町→気仙沼市→陸前高田市→大船渡市→釜石市まで見学しました。予定の宮古市までは時間的に無理なのであきらめました。予定を変更して釜石市より遠野市経由で花巻市泊まりとしました。
 釜石市までの道中道路の寸断、橋の崩壊等、迂回路が予想以上に厳しく時間がかかりました。そのためもあり宿泊は車中どまりとしました。

 今回のボランティアを振り返ってみます。食事は朝食、昼食ともコンビニ弁当その他、夕食は近くの食堂で済ませるという毎日です。風呂はグリンピア岩沼、車で車中泊の場所から15分程度、1回500円でした。(旧厚生労働省の施設)。自分と同じ車中泊の仲間が15人程度おりました。また近くの公園にはテント泊の人35人程度がいました。今回のボランティア本部のある、社会福祉センターは、立派な施設で、近くには市民会館、南東北病院、鈴木記念病院、岩沼市陸上競技場、市民体育館等があり、比較的便利な場所でした。
 市民会館は、被災者の避難場所に使用、また向かいの公園には仮設住宅が建設され既に沢山の被災者が入居していました。被災者の写真撮影は禁止ということで被害状況は自分の目で見ただけです。自分の見た被災地範囲では、特に被害の大きい地域は南三陸町、気仙沼市、陸前高田市等でした。

 岩沼市民会館周辺には、前にも書きましたように沢山の公共施設があり、徒歩20分以内の場所に、岩沼市役所、消防署、岩沼警察署、社会福祉センター、陸上競技場、体育館南東北病院等が集中してあり、市民バスが早朝から夕方まで運行していて、市民にとってとても住みやすい都市構成になっていると感じました。

 仮設住宅にはいると、その日から自活生活に入ることになります。避難所にいるうちは、すべて無料で配給されていたものも、一切もらえなくなります。入居をためらった人たちは意外と、家族を抱えた中年齢層多いということは、考えさせられました。被災者との対話も交わしましたが、せっかく建てたばかりの新居が、入居まもなく流されてしまい、残ったのはローンだけであるという話には、胸が痛くなりました。

 まだまだ書きたいことはありますが、行ってきてよかったと思っています。     (終わり)

災害ボランティアに参加して~その3~ [天災・自然災害]

今回の東日本大震災の災害ボランティアとして、おひとりで、登録手配し、車で参加してきた会員がいらっしゃいます。お話を聞くだけでは勿体無いので、お願いしてその記録を書いていただきました。4回に分けてお届けします。今回は3回目です。ぜひお読みください。     事務局 かわかみ

 5日目 8時30分受付
今日の作業はC氏宅の側溝清掃。5人で深さ約50cmの側溝にぎっしりのヘドロ撤去である。ヘドロは臭気が強く大変でした。またこの家には、若者が二人いたが手伝いは一切せず、見学しているのみであった。(少しでも手伝えと言いたかった。)下流のヘドロ撤去が終わっていないので、水の流れが悪く大変であった。

 6日目 8時30分受付
 今日の作業は仮設住宅の引越し準備。1チーム8人である。作業は大型トラックより降ろした荷物を(テレビ、洗濯機、冷蔵庫、寝具一式、家財道具、洗面具一式等)段ボール箱より取り出して、各部屋ごとに仕分けをし運搬搬入という仕事である。本日は若いボランティアが大勢応援に駆けつけてくれた。群馬県桐生高校生、男女40人の生徒が、10時30分到着、男子はわれわれの荷物仕分け作業、女性徒は避難所の手伝いと言っていた。
 高校生は14時20分まで手伝い、14時30分に出発帰校した。われわれも予想外の応援で、予定時間より2時間早く終了することが出来た。

 7日目  8時30分受付
 今日はボランティア活動最終日。農家D氏宅のハウス2棟内瓦礫と、ヘドロの撤去である。チーム4人、D氏宅に到着。老夫婦で迎えてくれた。作業も順調に進み15時前に終わり、迎えの車が来るまで老夫婦と歓談した。       
   (明日から所要で8日まで不在のため、続きの最終回は9日掲載になります。)



 

災害ボランティアの参加して~その2~ [天災・自然災害]

今回の東日本大震災の災害ボランティアとして、おひとりで、登録手配し、車で参加してきた会員がいらっしゃいます。お話を聞くだけでは勿体無いので、お願いしてその記録を書いていただきました。3~4回に分けてお届けします。今回は2回目です。ぜひお読みください。     事務局 かわかみ

 2日目 朝8時30分受付
 今日の作業は8人で写真、アルバム、その他の洗浄等(富士フイルムより1名派遣)・・色々な場所から集められた品物(大きなものでランドセル等)を洗浄し、乾燥して、大きな部屋に展示する。展示場所には一日、30名~40人の被災者が、自分または身内の写真等を探しに来る。特に結婚式、入学式の記念写真等が見つかると、大喜びで感謝された。  16時15分、本日の作業終了。

 3日目 8時30分受付
 今日の作業はB氏宅の瓦礫撤去。1チーム8人である。マイクロバスで現地に行き、B氏の指示で作業開始。この現場は「軽トラックや農機具類が、他の場所から流出され流れ着いたもの」だとB氏が言っていた。トラック等の上に30cmから40cmの大木が覆いかぶさり、作業に必要な道具が少なく、大変苦労した。15時50分、本日の作業終了 

 4日目 8時30分受付
 今日の作業は、ある特別養護老人施設の瓦礫及びヘドロの搬出。1チーム15人。マイクロバスで行く途中、田圃に自動車や、農機具等が流出時そのままの状態で放置されている。途中空き巣等、警戒のためいたるところに県外ナンバーのパトカーが待機していた。
 施設到着後2班に別れ、今日は通路の確保を重点に、作業を開始する。室内は注射針やガラスの破片等が散乱して、普通の長靴では危険で大変であった。電気、水道が復旧せず、内部の通路は暗くて、発電機1台の照明を頼りに作業を続ける。
 15時30分、通路の瓦礫やヘドロは全部撤去できた。施設の関係者によると、海岸より約900mの地点で、
2m20cmの海水が襲ったとのこと(病院内)入院患者は全員2階に避難し無事であった。但し看護婦1名が、最後の点検のため、1階に下りた瞬間一気に海水が流入し死亡した。16時、本日の作業終了。(続く) 

災害ボランティアに参加して~その1~ [天災・自然災害]

 今回の東日本大震災の災害ボランティアとして、おひとりで、登録手配し、車で参加してきた会員がいらっしゃいます。お話を聞くだけでは勿体無いので、お願いしてその記録を書いていただきました。3~4回に分けてお届けします。ぜひお読みください。                         事務局 かわかみ

 今回ボランティア活動に参加して、一番に感じたことは日常、テレビ、新聞等で見ている以上に悲惨な現状でした。何百年に一度の災害と報道されていた現場を、自分の目で見ようと思って、ボランティアに参加しました。
 最初は5月の連休に行く予定でしたが、現地からの要望で、「連休明けに来ていただきたい」と言われ、5月中旬ボランティア活動保険に加入し、1週間参加させていただきました。
 今回困ったことは宿泊場所の確保、各自治体によって、テント及び車中泊禁止の場所があって、特に岩手県はほとんどが禁止の自治体でした。宮城県は一部の自治体を除いて、テント及び車中泊OK。自治体によってはテントを貸し出すところもありました。

 実際のボランティア活動では、いろいろな仕事を経験させていただきました。今回お世話になった活動拠点は宮城県岩沼市社会福祉センターです。

 1日目 朝8時30分受付。今日の作業はA氏宅の瓦礫撤去。1チーム10人。全員見知らぬ人ばかり。マイクロバスで現地へ10分ほどで到着。A氏の指示で作業開始。瓦礫の中より、鞄1個、アルバム3冊、写真14枚位牌2個発見。16時本日の作業終了。~明日に続く~
                 

 

海側開発問題 [天災・自然災害]

 袖ヶ浦駅海側開発の事業認可が目前に迫っている中で、今回の大災害である。私たちの会では、このような状況で、本当に開発を進めてよいのかという危惧が一層高まっている。それは、私たちの会員が考えるだけでなく、実際工事に当たる業者にとっても、もし失敗の場合責任を負わねばならぬ地権者にとっても、重大な選択肢の中にあるのだという認識をお持ちではないのか・・と、普通は考えるはずだから・・・
 
 私たちは、その危惧をあらためて市民の皆さんに問いかけようと思っている。ゴールデンウイーク明けにでも、私たちの討議結果を皆さんに報告したいと思う。初期投資の段階ではまだ引き返すことが出来る。しばし沈思の時間を持ちたいものだ。
                                                     事務局

袖ケ浦市の災害と海側開発 [天災・自然災害]

数日前の袖ケ浦市の災害についての記事にコメントがありました。「浜団・田中」さんからです。田中さんの特集第3号はこのコメントを掲載させていただきます。     事務局

 袖ケ浦海側が海抜6m、防波堤の高さは5mですか!
 今回の震災で発生した津波の高さは4階にも達したとの事、これが袖ケ浦市の東京湾に押し寄せたらと思うとゾットしますね!勿論袖ケ浦海側開発予定地は水没、停電で排水装置(排水ポンプ起動、水門の開閉等)は駆動不可となるでしょう、自家発電装置を設置してあっても、海水に浸かりたり、押し寄せたがれきで破損し使用出来ないでしょう。
 
 建築物(建物、堤防、河川、港湾、排水設備、橋、等々)の基礎計算ベースは今後は何を考慮に加えるのかが問題になると考える。
 残土埋め立て等の工事に敷設する、埋立地下流に設置する遊水池(工事面積に豪雨が降っての地下に雨水を浸透させ、下流に埋め立て土砂を流さない様にする溜池の事)の設計は過去50年間に有った豪雨を考慮して広さと堤防の高さを計算して遊水池を設置すると聞きました。
 今回の様な未曾有の地震、津波や停電、を考慮対象には今後は勿論入ってくる事になるでしょう。
 上記を考えれば「袖ケ浦海側開発」をうんぬん言ってる場合では無い、袖ケ浦市内の防災について再見直しを早急に実施することが優先と考える、市民の皆さん如何お考えでしょうか!
                                             
                                         by 浜団田中 (2011-04-13 22:45)

袖ケ浦市の災害 [天災・自然災害]

 昨日に引き続き、書き漏らしたことを書いておこう。袖ケ浦史誌には、坂戸市場村全戸崩壊の時の記録には、地震とあるが津波には触れていなかった。ところが翌年の1866年の災害では、はっきり津波災害とあり、このときは蔵波村の津波被害が書かれてある。蔵波が津波とは考えられないことだが、当時の村の地図がわからないので、どのあたりのことを言うのか不明である。

 さて、町でいわゆる井戸端会議の話題に上っていたことを書いておこう。
 線路から海側の海抜は6メートルと言う。堤防の高さは5メートルであるそうだ。この地勢では、今回の津波の状態であれば、奈良輪、昭和地域、袖ケ浦駅海側の地域は完全に津波の犠牲になる。それだけではない、史誌にあった蔵波地域も、完全に襲れることになるということを、蔵波に住んでいる方が話していた。もう一人の方が言った。「心配するな。その前に臨海地域の化学工場が爆発して、われわれすべてがあの世に行っているよ・・」 単なるデマや風評であって欲しいものだ。

                                                  kawakami

袖ケ浦市の災害 [天災・自然災害]

 今日も(4月12日)結構な揺れが3度~4度と、袖ケ浦市を揺るがした。なぜかNHKTVには、お隣の木更津市や、君津市、の名前は出たが、袖ケ浦市の名前は出なかった。現地からの連絡がないからなのかな?それとも、このあたりはもう合併し、袖ケ浦市は木更津市に併合されたとでも思っているのかな??
 東京新聞の地震特集には、予想される地震として、「房総沖地震」という名前が登場していた。震源地と東京湾との角度の関係では、湾内各地に大きな津波が起きる可能性もあることを、どこかのTVで、突然多数登場するようになった地震評論家と呼ばれる方が、発言していた。

 さて、このことの真偽は別として、袖ケ浦では過去に地震の災害はなかったのであろうか・・・と思い、「袖ケ浦市誌」を開いてみた。ありました。

 「1855年(安政2年)10月2日、朝より雨少々・・夕方止む・夜よつごろ(今の午後10時頃)であろうか、西南のほうから振動が起こり、戸障子、襖押し倒し、みな庭に出る。」(袖ケ浦市誌)これが江戸大地震である。このときの地震被害は、当時100万を越えていた江戸の町で、10000人以上が死亡し、壊れた家屋15000戸に及んだという。その江戸のまちが炎に包まれているのを見ながら退避した袖ケ浦の住人たちの被害は、坂戸市場村の全村家屋が崩壊した・・・とあった。

 この話にはおまけがついている。災害を受けたのだから、お上からの支援があると思いきや、逆にお上から「公金不足につき、賦課金を申し付ける」と金を搾り取ったという。あきれた話である。でも笑ってもいられない。東北復興のためならいざ知らず、この時期に行おうとする、袖ヶ浦駅海側開発への地震の影響大きく、失敗した場合、税金増、あるいは行政サービス減という取立てが始まるかもしれない。

                                              kawakami

 

南米パラグアイ国イグアス移住地から [天災・自然災害]

 パラグアイ国の首都アスンシオンから東、約150キロブラジルとの国境近くに、有名なイグアスの滝の名前を取ったイグアス移住地がある。南米移住地としては最期の地になった場所でもある。ここには約130世帯の日系人がすんでいる。戦後移住で、50年の歴史を持ち、不耕起栽培という、畑を耕さないままに、次の種をまく農法を編み出し、有数な大豆の産地になった移住地でもある。

 ここの農協に属する組合員約75世帯が、一世帯1トンの収穫したての大豆を、今回の災害援助に日本へ送ることを満場一致で決めたという。パラグアイは地球の反対側だから、目下大豆の収穫期なのである。ここは遺伝子大豆を断固として拒否している栽培農家が多いということもある。目標は100トン。栽培農地が広い農家は拠出量がそれだけ多くなり100トンという数字が出てきたわけだ。移住者の中には岩手県出身の方々も多い。故国それもふるさとの惨状に胸を痛めていらっしゃる方々の姿が目に浮かぶ。100トンと簡単に言うけれど、4トントラックで25台分の大豆である。この大豆で100万丁の豆腐が出来る計算であるとのことだ。イグアス移住地の決定を受けて、その輪はパラグアイ全体に大きく広がりつつあるとも聞いた。

 昨夜成田に着いたイグアス移住地の友人が、千葉の娘さんのところに一泊し、今日我が家に来訪しそのニュースを伝えてくれた。彼女も移住者で大豆を拠出することを当然のごとく話してくれた。昨日はアルゼンチン、今日はパラグアイからのニュースである。戦後国策で移住させられた人々が、今故国の大災害にふるさとへの熱い想いを伝えるべく立ち上がってくれている。

 大きな災害を受けなかったわれわれが出来ることは何か?自分で出来ることは何か。あらためて自らに問いかけている昨日、今日である。

                                                kawakami

前の15件 | 次の15件 天災・自然災害 ブログトップ