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袖ケ浦市の災害 [天災・自然災害]

 今日も(4月12日)結構な揺れが3度~4度と、袖ケ浦市を揺るがした。なぜかNHKTVには、お隣の木更津市や、君津市、の名前は出たが、袖ケ浦市の名前は出なかった。現地からの連絡がないからなのかな?それとも、このあたりはもう合併し、袖ケ浦市は木更津市に併合されたとでも思っているのかな??
 東京新聞の地震特集には、予想される地震として、「房総沖地震」という名前が登場していた。震源地と東京湾との角度の関係では、湾内各地に大きな津波が起きる可能性もあることを、どこかのTVで、突然多数登場するようになった地震評論家と呼ばれる方が、発言していた。

 さて、このことの真偽は別として、袖ケ浦では過去に地震の災害はなかったのであろうか・・・と思い、「袖ケ浦市誌」を開いてみた。ありました。

 「1855年(安政2年)10月2日、朝より雨少々・・夕方止む・夜よつごろ(今の午後10時頃)であろうか、西南のほうから振動が起こり、戸障子、襖押し倒し、みな庭に出る。」(袖ケ浦市誌)これが江戸大地震である。このときの地震被害は、当時100万を越えていた江戸の町で、10000人以上が死亡し、壊れた家屋15000戸に及んだという。その江戸のまちが炎に包まれているのを見ながら退避した袖ケ浦の住人たちの被害は、坂戸市場村の全村家屋が崩壊した・・・とあった。

 この話にはおまけがついている。災害を受けたのだから、お上からの支援があると思いきや、逆にお上から「公金不足につき、賦課金を申し付ける」と金を搾り取ったという。あきれた話である。でも笑ってもいられない。東北復興のためならいざ知らず、この時期に行おうとする、袖ヶ浦駅海側開発への地震の影響大きく、失敗した場合、税金増、あるいは行政サービス減という取立てが始まるかもしれない。

                                              kawakami

 
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