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敗戦の日 [平和]

 今日8月15日は敗戦記念日である。敗戦の年、私は函館中学校2年生で、4月から北海道ニセコのふもと狩太村というところの農家に、学年全体生徒が援農で(農家の男手不足から学校を休業し農家の手助けをすること)一部は農家に泊まり込み、私たちは今の自治会館のようなところで合宿生活を送っていた。

 初めての農家の仕事にようやく慣れて、7月は夏休みで一時函館に戻ったが、ちょうどその戻ったときに、函館空襲に出遭ったのだ。7月14日、15日の空襲である。母は、私が小学生の時に亡くなり、父は沿岸航路の船長で不在。兄弟だけでいたときの空襲である。空襲の目標は、函館ドックが中心で、記録によると空母から発進した艦載機による機銃掃射の攻撃であった。私たち兄弟は父の作ってくれた防空壕に入って固まっていた。

 ようやく警戒警報が解除されたというので、「兄ちゃんが見てみるネ」と防空壕から恐る恐る半身を出した途端である。うしろからバリバリバリ・・と音が頭の上を通り過ぎたとたん、私の体から30センチほどの所に砂煙が一直線に並んではじけ飛んで行った。機銃掃射であった
 あれがもう少し近かったら、私はこの世から、おさらばであったろう。あわてて防空壕にもぐりこんだが、しばらくの間体が硬直し、動けなかったことを覚えている。

 敗戦の日は晴れ渡っていた。畑の上空にきらりと光るものがあった。飛行機である。制空権を握ったアメリカの飛行機は、敗戦の日も自由に日本の空を飛び回っていたのだ。
 宿舎の前の広っぱに並んで、玉音放送をラジオで聞いた。くぐもった天皇の声は人間の声とは思えなかった記憶がある。

 あの日から74年。現在70歳以上の人は(つまり戦争を経験した人は)約20%だという。
1億2600万人の人口だから、約2500万人の戦争体験者が残っているということだ。ただわかりやすく言うと10人のうち、戦争を知っている人たちは2人よりいないということだ。
 敗戦後、恒久平和の国づくりに向かって歩いてきたはずの日本であった。しかし、再び戦争のできる国にしたいという力が、戦争を知らない世代の政治家によって画策されている。
 
 私の生きているうちは、絶対その力を許さないと心に決めている。

                           投稿 kawakami

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