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「散歩道のプロジェクト」砂漠化の実態6 [環境問題]

 川のほとり、丁度わずかに残されたかつての風景と、砂漠の風景の境界線。砂漠がそばにあるかぎり、この一見のどかに見える風景はいずれ風化してしまい、存在することが許されなくなる。

砂漠化6.PNG


 誰が?何の為に?生き物が住みかを作るように、人にも住みかは必要だ。しかし、森を生かして人が住むことは出来るはずだ。それが人間の知恵というものだろう。どうしてこんなに広大に砂漠化する必要があるのか?さらに砂漠公園を作ってなにが嬉しいのだ。

 家に帰って、妻とまた色々話した。私はとにかく、どんなことでも全て記録に残して、ずっとずっと残したいと思っている事。無邪気に遊ぶ二人の娘たちのためにも自然は残してやりたいこと。少なくとも記録は残してやりたいこと。そして、彼女らが大人になり、そのことをふりかえった時、その時に何も残っていないのでは困る。だから、わずかながらでもこうして記録しておくことは意味がある。私が今、最も大事だと思っていることがそこにあると。だから散歩に出かけるのだ。だから記録に残すのだ。だから自然を感じるのだと。

 少なくとも、私がこの森を歩いて、心の奥底で強く感じること、あるいは、森から砂漠エリアに出たときに言葉には言い表わせない恐怖感とか、絶望感におそわれる感覚は決してわすれてはいけないのだろうと思う。それは、自然の中でくらす人々は太古の昔から感じてきたのだろう。



 だから、自然とともに生きる術を色々と考えてきたはずなのだ。すくなくとも、未来を担う子供達には、こんな過ちを犯さないように、よくよく見せてやりたい。かつて、私が子供の頃、悲惨な戦争を繰り返さないようにと色んな話しをきいたり、いろんなものを見せてもらったりしたように。それでも、愚かな人間は戦争をくりかえす。ある意味、それはしかたないとあきらめている人は多いと思う。もっとも、自分一人の力ではどうしようもないと思うのかもしれない。しかし、それを回避するための知恵が大事なのだ。そうして人間は知恵をしぼって生きていくべきなのだ。今、子供達に望むことがあるとしたら、そういう知恵だ。その知恵で豊かな世界を築いていって欲しい。薄っぺらなご都合主義で無意味に砂漠を拡大する愚かな大人は早く滅びるがよい。

 いま、この豊かな自然を、残すためのなんの知恵もなく、砂漠化してその上になんの脈絡もない木を植えるなどという馬鹿馬鹿しい破壊を進めている大人。それがどういう結果をもたらすか見ていてごらん。それがいかに愚かな行為であったか、未来にもし、しっかりとふりかえることができるなら、私のこの記録は何かの意味を持つであろう。
 かつて私の散歩道のように豊かな自然があった筈の場所がこんなにも惨めな場所になってしまうのだ。かろうじて残された私の散歩道。そこには何があり、どんな生き物たちの営みがあったのか?それを踏みにじり、浅はかで薄っぺらな大人の都合だけで、こんな砂漠を作ってはいけないのだ。
 たとえ私が死んだ後でも、ここにこうして記録したことは残るだろう。残すのだ。こんな酷いことを前にして、何も考えない、なんにも感じない大人であってはいけない。とにかく、私に出来ることは少ないが、それでもこんな風に記録をとどめ、誰もが見れるようにすること。今はこんなことしか出来ないが、それでもこれを精一杯やろうと心に誓ったのだ。

 決してやめない。けっしてあきらめない。子供達が楽しげに眠った後、私は一人、この日記を、この記録を一生懸命作る。力をこめて、少し怒りをこめて作る。時間は限られている。出来ることは限られている。しかし、今やらなくては間に合わない。そんな焦りを感じながら、それでも今出来ることをするのだ。すべての愛するもののために。

◆ 田頭さんの記録はまだまだどっさりある。いずれも田頭さんの悲痛なまでの心の叫びであり、私たちの心にまっすぐ響いてくる。「散歩道のプロジェクト」と検索すると、すぐ会うことができる。
 あとでわかったことですが、奥様もご一緒にこの活動に参加されていらっしゃるとのこと。どうぞお元気で、「散歩道プロジェクト」が」、願い実現に向けて力強く歩んでいかれることを祈念いたしております。掲載させていただきありがとうございました。  かわかみ


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