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子どもと道徳 [教育]

 今日はこどもの日です。だから子どもたちに、皆さんご存知の前前川事務次官の講演で、道徳の教科書のお話をしたことを紹介します。今日はこどもの日であるということは、大人が考える子供を巡る環境を考える日でもあるからです。(日にちがずれてしまいました。ごめんなさい)
                          kawakami

前川:(これから導入される)道徳の教科書に載っている話に「手品師の話」というのがあります。こんな話です。

 腕は悪くはないのだけれども売れない手品師がいて、いつかは大劇場で沢山のお客さんの前で演じたいと思っていた。ある日、道を歩いていると、寂しそうにしている少年に出会った。彼は父親が亡くなり、母親が働きに出ていて、一人ぼっちだという。手品師は少年を喜ばせてあげようと手品を見せたら、その子がすごく喜んだ。「明日も見せてくれる?」と言うので「ああ、いいとも」と約束したわけです。

 ところがその日、家に帰ってみると、電話がかかってきた。

「明日、大劇場で手品をやってほしい。明日出る予定の芸人が病気になって、突然出られなくなった」と。手品師にビッグチャンスが訪れた。

 でも劇場に行けば、子供とした約束が果せなくなってしまう。そういうジレンマを抱えた手品師は、劇場に行くのを断って少年の元に行き、たった一人のために手品をする。

 こういう話なのです。「約束を破らなかった手品師は、誠実ですばらしい人ですね」という話として紹介されているのです。しかし、本当にこれでいいのですか?

 この前、名古屋市の中学校で私が講演をする前に、校長先生がこの手品師の話をしたのです。その校長先生は電話がかかってきた場面で話を止め、生徒の意見を聞きました。そうしたら生徒たちの意見は「劇場に行く」と「約束を守る」という意見にわかれたのです。

 その後、議論をしていったら「その少年を劇場に連れていけばいいじゃないか」という意見も出てきた。そうやって議論をすることが大切なんです。先生が最後まで読んでしまって、生徒が「約束を守ることが正しい」ということだけを覚えてしまうのは良くない。

 いろいろな考えがあることを知ったうえで、自分自身の考えをつくりあげていくことが大切なのです。4月から使われる道徳の教科書も、先生たちがこうした題材をうまく使ってくれればいいのですが……。

前川さん.PNG


講演後に前川氏は、次のように記者に語った。

「今日は手品師の題材を取りあげましたが、『自己犠牲をすることが正しい』という一つの徳目だけを押しつける話になってはいけない。『いろいろな道徳的価値が対峙する場合があるから、それをどうやって切り抜けていくのかを考えないといけない』ということを言いたかったわけです。あの手品師の話は、(道徳の)教科書の書き方としてはやや問題があると思っています」

 戦前は「修身」と呼ばれる、社会が“こうあるべき”と考える人間像を教え込む授業があった。この「修身」は軍国主義とのかかわりなどから批判され、戦後は停止された。その後1955年から「道徳」の時間が設けられるようになったが、人間の生き方に正解はなく、他の教科のように数値的な評価はつけられないことなどを理由に、これまでは教科にはなってこなかった。

 しかし安倍政権がすすめる今回の「教育改革」では「道徳」を教科として扱うことに。週1回・年間35時間の授業を行うことを義務づけ、教科書も作ることとなった。文科省の事務方トップであった前川氏が懸念するこの「道徳の教科化」、実際の教育現場ではどう扱われていくことになるのだろうか?

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