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堤記者第一報「抱かれ地蔵」 [その他]

 木更津から埼玉の川口に転勤された、朝日新聞堤記者のことはこのブログに紹介した。(3月31日)その堤記者から、早速地元のニュース第一報が届いた。堤記者らしい心の温かくなる記事である。この記事に添えられていた言葉をそのまま紹介する。

「赴任した土地を好きにならないと良い記事は書けないので、まずは川口を好きになろうかと。今日、県版のトップ記事を書きました。参考に添付します。川口は君津4市のように赴任する前から楽しみなところではありませんが、こんな記事を書きながら少しずつ好きになっていこうかと思います。」


◎ 大木の根に安らぐ姿「抱かれ地蔵」 川口・興禅院

 大木に包み込まれた石彫りの小さなお地蔵様が、川口市安行領家の興禅院にたたずんでいる。高さ30センチほどのお地蔵様は、木に優しく抱かれているようにも見えることから、いつしか「抱かれ地蔵」と呼ばれ、口コミやネットで存在を知って訪れた人々を和ませている。

 興禅院は曹洞宗の寺院で戦国時代の1546(天文15)年に創建。季節ごとの花や紅葉で有名で、この時期はシャクナゲやヤマブキ、シャガやイチリンソウが彩る。すでに新緑も美しい。
 「抱かれ地蔵」は墓地の中にあるスダジイの大木の根元に、ちょこんと姿をのぞかせている。
住職の早船元峰(げんぽう)さん(74)は「20~30年前に石屋さんがお地蔵様をスダジイのそばに動かしたところ、木が成長して取り囲んでしまったんですよ。いわれのようなものはないんです」と話す。

 お地蔵様の左側には「元禄」の文字があり、約300年前に彫られたのではないかという。背後には後光を表す舟形の光背があったが、今は木に覆われて見ることはできない。
 2003年に本尊の「釈迦如来坐像」が市文化財に指定された後に立てた案内板で、抱かれ地蔵に触れたことから、知られるようになっていったそうだ。

 タイの世界遺産アユタヤ遺跡にある、菩提樹(ぼだいじゅ)にとりこまれた仏頭と重ね「日本のアユタヤ」と紹介されることも。アユタヤでは、1767年に戦禍で壊された仏像の頭部が木の成長で持ち上げられ、戦争の悲惨さを伝えるとともに深い信仰の対象にもなっているが、抱かれ地蔵は庶民的で優しい雰囲気を醸し出している。

 早船さんは駒沢大の環境地理学の元教授でもあり、檀家(だんか)やボランティアの協力を得て、寺を「寺院ビオトープ」にしようと考えている。境内に在来種の植物を植え、斜面林に十三石仏を配した「癒やしと安らぎの森」を整備……と、構想は進んでいる。「寺が人と野生生物のサンクチュアリ(聖域)になって、多くの人が安らいでくれれば」
 いつしかスダジイにすべてを覆われてしまうかもしれない抱かれ地蔵。今はまだ、優しい表情でそんな寺を見つめている。(堤恭太)

抱かれ地蔵.PNG

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