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景観の持つ力とは何か 最終号 [小櫃川の水を守る会]

 時を忘れて先生の講義を聞いていると、先生は残された時間に気が付き、「時間が無くなりましたので少し急ぎます」と早口で話された。先生の語り口が速くなったようだ。と同時に声の調子も一段と熱気を帯びてきたようである。この報告の最重要部分に差し掛かっていることを感じた。私の報告も先生の熱気に合わせねばならない。

 千本松原(せんぼんまつばら)は静岡県沼津市の狩野川河口から、富士市の田子の浦港の間約10kmの駿河湾岸(正式名称富士海岸、通称千本浜)に沿って続いている松原である。

 話は平家物語に飛ぶ。平敦盛の子息をとらえた北条四郎は、鎌倉まで連れていくのだが、その途中でこの若君を斬らねば…と思っていた。鎌倉も近づき、千本松原にかかった際、いよいよその刑執行の最後の場であるということで、家来に命じるが、いたいけな若君をだれも斬ることはできないという。そこに頼朝からの書状が届き、若君の命は救われ北条の家の子郎党すべてが喜んだという話である。

 もう一つ「奥の細道」の事例も付け加えながら、死ぬときは美しいところで最後を終えたいという日本人の死生観(あるいは美意識)が表れていると指摘された。

 千本松原については、まだある。井上靖の「夏草冬涛」(ふゆなみ)の事例を挙げ、井上靖はこの松原でどのように青春時代を過ごしたか…そして碑文の中に次の文言があることを話された

千個の海のかけらが 
千本の松の間に挟まっていた
少年の日
私は毎日
それをひとつずつ食べて育った

 川村先生は、この碑文の前で立ちすくんだという。これを知りたかった・・という。景観とはそういうものである。景観とは人間が育っていく精神的栄養なのだ。

 最後になる。昭和21年8月に井上康文という方が「日本の山水」という本を出された。
その巻末に「美しい日本の山河を凝視しよう。心を豊かにしなければならない。ともあれ、今は種々の苦難を切り抜けていかねばならない。心にしみた汚濁は美しい日本の山河で洗い清めよう。そういう切々の願いからこの集を編んだ。先輩や友人諸兄の作品の中からこれらのすぐれた詩を選び出させてもらった。何よりも「日本の山水」を静かに読みたい。そう思いながらこれらの詩を幾度も読み選ばしてもらった。・・・」

 発行日は敗戦直後である。紙も、何もない食うや食わずの時期に、住むもの着るものもない時期にこのような本を出された。苦難を乗り越えるために日本の自然の力を糧にしなければならない。そういう人たちがいた。景観とは、自然の力とはそういうものだということを訴えたい。時間があればもう少し話したいが、このことを最後にお伝えして今日の話を終わりたいと思う・・・・。

 参加者は、自然保護運動に携わっている人たちである。一つ一つの話が、全て胸に突き刺さっていったものであるに違いない。ハンカチを握って離さない方がいた。きっと今日の先生の話は、日本という国の、歴史・文化を貫き、生きてきた人々の生きる糧は何であったのかを深く刻み付けるものになったに違いない。 以上報告とさせていただく。
  (報告の中でリニア新幹線問題等いくつかの重要な話を省いたことをお詫びする)

千本松原.PNG


kawakami

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