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君津市長選挙 石井新市長誕生 [小櫃川の水を守る会]

君津市長選挙の石井候補当選のブログ拝見しました。 ブログ文章のなかで素晴らしいと思ったことは
候補者に水源問題への態度を事前に問い合わせ、そしてその結果をちゃんとブログに書いたことです。
私たち市民は口先だけの公約を話し、当選したら忘れてしまう、そんな候補を多く見てうんざりして
いましたので以下のようにちゃんと候補に聞いて、その結果を公開してくれたことは今後の選挙でも
参考になってとてもうれしく思います。
 ぜひ、袖ケ浦市の市長や市議会議員などの選挙で候補者に様々な問題への考え方と公約を聞いて
ブログに上げるだけでなくチラシ配布などで誰に投票したらいいのは分かるようにして欲しいと
思います。
 大事なことは誰でも選挙前には良いことを言うので前回の選挙での公約と市議会での賛成反対と
日頃の行いと発言などを分かりやすい一覧にしてくれれば最高かなと思いますが、こんなこと
できるでしょうか? ぜひ頑張ってください期待しています。

+++++++++++ 以下はブログ記事から ++++++++++++++
 あなたは、裁判を含めあらゆる手段を講じて水源地での第Ⅲ期増設計画を阻止するために市民の先頭に立つ、と約束して下さいますか?
                   (はい、いいえ、のどちらかに〇を)
石井ひろ子氏    はい
渡辺きちろう氏   ― (ご記入いただけませんでした)
安藤けいじ氏    ― (ご記入いただけませんでした)

石井ひろ子氏
君津最大の資源は水と緑です。これを未来につないでいくことは、私達世代の責任です。
議会や市民に説明もなく第Ⅲ期増設を許可した県の姿勢は容認できません。皆さんの力を結集し、命の水を守り抜きます。
+++++++++++++++++++++++++++++++
市民の先頭に立ちますと言ってくれた方が当選したのですね、嬉しい限りです。

――奈良輪――

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石井ひろ子次期君津市長がデモの先頭に [小櫃川の水を守る会]

10月16日に行われた君津市長選で当選した石井ひろ子さんは、翌17日に千葉で行われた新井総合の処分場建設に反対するデモ行進の先頭に立って歩いていただきました。市長になる方がこのように市民運動の先頭に立って動いてくれることはなかなかありません。私達は石井氏の当選に大きな力をいただきました。
私達小櫃川の水を守る会が、選挙前に各候補者に出した公開質問状の回答を下に載せますが石井氏だけが増設阻止のために先頭に立ちます、と明確に答えてくれました。 
     小櫃川の水を守る会  関  巌
<公開アンケート>
 君津市怒田の国内最大級の管理型産業廃棄物最終処分場・新井総合施設(株)君津環境整備センターについて、お伺いします。

  事業者は、2016年末に第Ⅲ期処分場増設計画を千葉県に提出しました。
 この処分場は、御腹川・小櫃川の源流域にあって、そこは地域住民の水道水、農業用水、上総掘り自噴井戸の水源地です。
  そのため、君津市も君津市議会も当初から処分場の建設に反対しています。私たちも、このⅢ期処分場増設計画については、
 ①Ⅰ期処分場で起きた漏洩事故の原因究明も対策も出来ていない
 ②第Ⅲ期申請に係る地元との事前協議が終了していない
 ③第Ⅲ期申請の環境影響評価書に重大な不備がある
 ④地元住民等から出されている安全性に関する疑義についての説明が全くなされていない、などの問題があるため、千葉県議会に対して請願を提出し、県が拙速に許可を出さないよう要望してきました。
 ところが千葉県は、君津市、君津市議会、地元の意見を無視して8月6日に第Ⅲ期増設の許可を出しました。

 あなたは、裁判を含めあらゆる手段を講じて水源地での第Ⅲ期増設計画を阻止するために市民の先頭に立つ、と約束して下さいますか?
                   (はい、いいえ、のどちらかに〇を)
石井ひろ子氏 はい
渡辺きちろう氏 ― (ご記入いただけませんでした)
安藤けいじ氏 ― (ご記入いただけませんでした)

石井ひろ子氏
君津最大の資源は水と緑です。これを未来につないでいくことは、私達世代の責任です。
議会や市民に説明もなく第Ⅲ期増設を許可した県の姿勢は容認できません。皆さんの力を結集し、命の水を守り抜きます。

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産廃場建設反対 [小櫃川の水を守る会]

16日に久留里、小櫃地区の人たちを中心にデモを
行い、県知事宛の署名簿を提出しました。
その後記者会見を行いました。
毎日新聞、東京新聞、千葉日報に記事が掲載されました。
昨日のブログに毎日新聞の記事を載せましたので
その他の記事を載せます。
小櫃川の水を守る会 関
2018.10.17千葉日報記事_01.jpg
2018.10.17東京新聞記事_01.jpg
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新井総合の産廃場建設に抗議するデモ [小櫃川の水を守る会]

君津市の小櫃川源流域での産業廃棄物最終処分場の増設を巡る問題で、地元の市民団体が16日、県に対し増設許可の撤回を求める署名を提出しました。
 「小櫃川の水を守る会」などの市民団体や地元の土地改良区6団体の関係者らは今朝、千葉市中央区の中央公園に集合し、県庁までデモ行進を行いました。
この中には、14日の君津市長選挙で初当選した石井宏子氏の姿もありました。
その後、県議会棟を訪れた一行は、君津市内の小櫃川源流域で新井総合施設が運営している産業廃棄物最終処分場について、県が今年8月に下した増設許可の撤回を求める5677筆の署名を県廃棄物指導課の職員に手渡しました。
市民団体側は最終処分場が過去に漏水事故を起こしたことなどを指摘した上で、「生活用水や農業用水の水源の近くに処分場を許可すること自体が危険だ」などと主張しました。
これに対し県側は「廃棄物処理法の許可基準を満たしているので増設を許可した」と説明。
その上で、「工事中を含め立ち入り検査を実施し、必要があれば指導を行う」との見解を示しました。
一連の抗議活動に参加した次の君津市長の石井宏子氏は、選挙戦では公約の1つとして産廃最終処分場の増設阻止を掲げていて、市長に就任する11月以降、森田知事に対しても直接要望を行う考えを示しました。
小櫃川源流域にある産廃最終処分場を巡っては2012年1月に施設の内部から水が漏れ、施設の外にある観測井戸から塩化物イオンが検出されたため、現在も一部の施設で廃棄物の搬入がストップしています。
デモの様子は下記URLで見られます。
https://www.facebook.com/soko.takei/videos/1915227671895031/?t=20
毎日新聞記事抜粋
SCAN0056.jpg

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 治水対策のあり方をめぐって    ~千葉県のすぐれた事例~④ [小櫃川の水を守る会]

千葉県自然保護連合 中山敏則

 茂原市でも、市と県が「100mm/h安心プラン」と銘打ち、総合治水に似たような対策をすすめている。茂原市などを流れる一宮川の治水対策である。現時点で4カ所に遊水地を設けている。第一調節池、第二調節池、阿久川調節池、瑞沢川調節地である。
 今年8月、これらの遊水地を見学した。案内してくださったのは元千葉県職員の平岡幹雄さんである。平岡さんはかつて土木技術職員として治水業務にも従事した。第一調節池は鶴枝遊水公園という名がつけられ、ふだんは湿性自然園や多目的広場として利用されている。
 平岡さんはこう話す。
「避難対策も重要だが、もっと大事なのは防災や減災対策だ。洪水をダムや堤防で抑え込む方式は限界がある。洪水エネルギーを分散させる点で、遊水地の整備は大きな効果がある」

写真は、一宮川の第一調整池(鶴枝遊水公園)。ふだんは湿性自然園や多目的広場として利用されている=茂原市猿袋
〔写真3〕一宮川第一調節池 (1).jpg
写真は、一宮川の第二調整池=茂原市墨田
〔写真4〕一宮川第二調節池 (1).jpg
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治水対策のあり方をめぐって    ~千葉県のすぐれた事例~③ [小櫃川の水を守る会]

千葉県自然保護連合 中山敏則
*総合治水対策への転換を
いま求められているのは総合治水対策である。総合治水対策というのは、堤防強化、放水路・分水路の建設など河道の治水施設の整備だけでなく、全流域を考慮した治水である。流域における対策には、調節池・雨水貯留施設の設置、透水性舗装の推進、各戸貯留の奨励、盛土の抑制のほか、水害に安全な土地利用なども含まれる。
 千葉県の市川市を流れる真間川の流域では、たいへんすぐれた総合治水対策が実施されている。これは市民運動によって実現した。
 真間川ではかつて、約400本の桜並木を河川改修工事で伐採するという計画がもちあがった。市民は「真間川の桜並木を守る市民の会」を結成し、対案をしめして桜並木の保存を訴えた。対案というのは、「河川を改修しても水害を防ぐことはできない。必要なのは、遊水地や雨水貯留施設の整備などを含めた総合治水対策をすすめるべき」というものだ。
長年にわたるねばり強い運動の結果、県は、真間川流域の治水対策を河川改修一辺倒から総合治水に方針転換した。約400本の桜並木は半分が残され、残り半分は河川改修後に復元された。遊水地や分水路、雨水貯留施設の整備などがすすんだ。
 その結果、真間川流域の浸水被害は激減した。真間川流域は1981(昭和56)年、台風24号による豪雨で大きな浸水被害が発生した。その後三十数年間で世帯数は1.7倍に増えた。だが総合治水対策を推進した結果、浸水被害は徐々に減少し、1996年以降は下流域の中心市街地における浸水被害はおおむね解消された。総合治水対策の成果である。真間川流域では、「自然環境の保全・復元」や「動植物に触れ合える環境学習の場」を兼ねた調節池(遊水地)づくりもすすんでいる。

図は総合治水対策の模式図
〔図2〕総合治水対策.gif
写真は真間川流域の総合治水対策の一環で整備された大柏川第一調整池(市川市)。
ふだんは「動植物に触れあえる環境学習の場」として利用されている。写真は野鳥観察会の様子。
〔写真2〕大柏川第一調節池.jpg
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治水対策のあり方をめぐって    ~千葉県のすぐれた事例~② [小櫃川の水を守る会]

千葉県自然保護連合 中山敏則
 *堤防強化を叫ぶだけではダメ

 新聞や週刊誌などは、西日本豪雨被害や治水対策をとりあげた記事で、水源開発問題全国連絡会の嶋津輝之共同代表や京都大学名誉教授の今本博健氏(河川工学)のコメントをたびたび載せている。二人はダムの不要性や有害性を指摘する。ダムは洪水対策として役に立たないことや、異常時の緊急放流によって下流域の洪水被害をより大きくすることなどである。そして二人は、「治水対策の王道は河道整備」「堤防強化は治水対策の要」と言い、堤防強化の重要性をしきりに強調する。
 ダムの不要性や有害性を指摘するのはいい。堤防強化を強調するのもいい。だが、堤防強化だけを叫ぶのは現実的ではない。越流時などに決壊する恐れのある河川堤防は無数にある。日本の河川堤防は、経済性や施行性、耐久性などから土盛りが原則となっているからだ。それをすべて鋼矢板の打ちこみなどによって強化するのは絶対に不可能である。
 日本にある河川の河川数と総延長をみると、一級河川は1万4065河川、8万8100km、二級河川は7081河川、総延長3万5870kmである(2017年4月30日現在)。何十キロも続く河川堤防の1カ所でも弱点があれば、洪水時に破堤の恐れがある。
 さらに堤防を強化しても内水氾濫はくいとめられない。「バックウォーター現象」による越水氾濫も防ぐことができない。「バックウォーター現象」というのは、支流が本流に合流するさいに水がせきとめられるかたちとなる現象である。
 堤防やダムなどの構造物に依存しすぎることなく、流域全体を考慮した総合治水対策を積極的にすすめるべき。これが現実的な政策である。ようするに、武田信玄や徳川家康など戦国武将の治水対策に学べ、ということである。
 嶋津氏と今本氏は遊水地の整備に否定的である。ダム重視と堤防強化偏重は近代土木技術の過信という点で共通している。信玄も家康も、堤防強化偏重では洪水被害を防げないことを経験的に知っていた。

絵は武田信玄が築いた霞堤の仕組み
〔追加図〕霞堤のしくみ.gif
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治水対策のあり方をめぐって   ~千葉県のすぐれた事例~ [小櫃川の水を守る会]

千葉県自然保護連合事務局長中山敏則さんが機関誌「自然通信ちば」に寄稿された記事がとても興味深かったので中山さんの許可をいただきここに掲載します。
                                    関 巌
   治水対策のあり方をめぐって①
   ~千葉県のすぐれた事例~
                       千葉県自然保護連合 中山敏則
 近年は甚大な豪雨被害が多発している。今年7月の西日本豪雨被害は典型である。しかしその対策は貧弱だ。あいかわらず上流のダム建設と中・下流の河道整備にかたよっている。求められているのは、洪水流を河道に押しこめるやり方をあらため、洪水エネルギーを分散させるなど総合治水対策を推進することである。千葉県ではすぐれた総合治水対策が実施されている。

*「水を治めるものは天下を治める」
「水を治めるものは天下を治める」という言葉がある。戦国時代の名将とされる武田信玄や徳川家康などは治水対策もすぐれていた。
 たとえば家康である。利根川の洪水が江戸におよぶのを防ぐため、家康は利根川の治水対策に力を入れた。その柱となったのは、広大な面積をもつ中条(ちゅうじょう)遊水地である。
 中条遊水地は現在の埼玉県熊谷市付近にあった。遊水地の面積(洪水氾濫面積)は約50km2といわれる。遊水地の下流部には中条堤が築かれた。中条堤の長さは約4km、高さは5mぐらいだ。
 中条遊水地と中条堤は、江戸時代において利根川の治水対策の要(かなめ)となっていた。利根川の洪水を中条遊水地に湛水させ、下流側を洪水の被害から守った。江戸260年の繁栄は中条堤と中条遊水地によって支えられていたといっても過言ではない。
 中条遊水地は明治の末期、利根川の連続堤防整備にともなって廃止された。人工堤防の整備という近代土木技術を過信した明治政府が廃止したのである。1947(昭和22)年のカスリーン台風による東京の甚大な洪水被害は、中条遊水地があれば防げたのではないか。
 武田信玄も、大氾濫をくりかえしていた釜無川を合理的な方法で治め、洪水被害を抑えた。霞堤を築くことによって洪水の流れをコントロールしたのである。霞堤は、堤防を連続させずに開けておき、洪水の一部を堤防の間に遊水させるようにしたものである。
 このように、かつての日本では治水が治世の根幹となっていた。ところが、いまの日本の為政者は治水事業を利権の対象にしている。“金食い虫”の巨大ダムを推進である。だが、ダムは治水にあまり役立たない。むしろ豪雨時にダムにたまった水を緊急放流するため、下流部で甚大な洪水被害をひきおこす。それは、今年の西日本豪雨被害でも実証された。


写真は、徳川家康がつくらせた中条堤。江戸時代は右側が広大な遊水池となっていた。
2012年11月撮影
〔写真1〕中条堤.jpg

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小櫃川の水を守る会結成30周年 4 [小櫃川の水を守る会]

目まぐるしい攻防の末、住民は本訴訟に持ち込んだ。

2002年5月15日、142名の住民原告が千葉地裁木更津支部に建設・操業の差し止めを求めて提訴した。原告の内容は、飲料水を地下水やしぼり水に頼っている人・市営水道と井戸水を併用している人・地下水・河川水を農業用水で使用している人・水道水源汚染で被害を受ける可能性のある人・河川の汚染により漁業で影響を受ける人・大気汚染や道路環境生活環境で大きな影響を受ける人達だった。

公判はこの年の9月15日から2004年12月13日まで、2年3カ月に及んだ。
裁判の第1の争点は、安定型処分場に有害物質が混入するか否か、だった。
日々多数回にわたって搬入される大量の廃棄物の添加物として混然一体となっている有害物質を、手作業で除去することは不可能とされた。
しかも、970,000㎥もの大規模の廃棄物に混入する場合、微量の有害物質でも蓄積されて、人の健康に影響を及ぼす、と裁定された。

 第2の争点は、処分場に混入した有害物質が、処分場の外に流出するか否かだった。
2004年4月12日、裁判官が計画地現地を視察。
事業者は地下の地層は北へ傾斜しているから住民の生活に影響はないと主張した。が、被圧地下水の場合、導水勾配によって地下水の流動が起こり得る。さらに地層には断層や亀裂があり、しかも透水性の高い地層も存在するので、有害物質は井戸水に混入すると裁定された。
 
第1審、控訴審、上告審、すべて住民勝利。 住民、ゴミ弁連、地質研究者一体の、強い結束の成果だった。

2005年5月12日。第1審の判決が出た。井戸を使用する7名について原告・住民の訴えが認められ、事業者に処分場建設、使用、操業の禁止が申し渡された。

5月26日、事業者が東京高裁に7名を控訴した。一方、7名以外の一審原告87名も、5月31日、「恩田川下流域の汚染」「安定5品目自体の危険性」など第一審で認めら
れなかった健康被害の発生する蓋然性の認定を求めて、高裁に控訴した。控訴審は2005年8月31日の第1回口頭弁論から2007年9月3日の最終弁論まで、2年2カ月に及んだ。この間、2006年10月10日、控訴審裁判官も現地調査を行った。

2007年11月28日、控訴審判決が下された。事業者の控訴を棄却し、第一審の判決を支持するという判決だった。事業者は直ちに最高裁に上告した。
2008年7月4日、最高裁は上告を棄却した。
1998年2月から2008年7月まで10年半、訴訟期間だけを見ても6年余に及んだ田倉処分場闘争は、住民側の勝利で幕を閉じた。

この勝利は、いうまでもなく住民の一致団結した固い結束と粘り強い闘いの賜物であることはいうまでもない。が、裁判の最初から最後まで、訴訟手続き実費以外はすべて手弁当で弁護活動を引き受けて下さった、田中由美子弁護士をリーダーとする千葉県弁護士会のゴミ弁連(たたかう住民とともにゴミ問題の解決をめざす100人の弁護士の連絡会)メンバーの皆さんの力強いリードと、坂巻幸雄元日本環境学会副会長(環境地質学者)をリーダーとする緻密な地質・水質調査活動の支えがなかったら、この訴訟を最後までたたかい抜き、勝利にまでたどりつくことは、到底不可能だっただろう。

弁護士、原告団一緒になっての調査活動.PNG
                 





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小櫃川の水を守る会結成30周年 3 [小櫃川の水を守る会]

水道水源保護条例の制定を求めて。

水道法には、清浄な水を確保するための条項として、次のような規定がある。
第2条  国及び地方公共団体は、水道が国民の日常生活に直結し、その健康を守るために欠くことのできないものであり、かつ、水が貴重な資源であることにかんがみ、水源及び水道施設並びにこれらの周辺の清潔保持並びに水の適正かつ合理的な使用に関し必要な施策を講じなければならない。 (以下略)

第2条の2  地方公共団体は、当該地域の自然的社会的諸条件に応じて、水道の計画的整備に関する施策を策定し、及びこれを実施するとともに、水道事業及び水道用水供給事業を経営するに当たっては、その適正かつ能率的な運営に努めなければならない。 (以下略)

 つまり、生命を守る清浄な水を確保したいのであれば、それぞれの自治体が条例をつくって、自分達の責任で水を守れ、といっているのだ。
であるならば、自分達の住む自治体に、何としても水源保護条例をつくらせなければならない。

1990年11月、「水を守る会」は条例の早期制定を求める陳情署名活動を行った。1ヶ月の短期間で18,000人を超える署名が集まった。 1991年2月18日、木更津市水道水源保護問題協議会が発足した。
 木更津市環境部環境保全課が事務局となり、水道部長、環境部長、企画部長の3氏を初めとする16名の委員で構成され、「小櫃川の水を守る会」からも2名が委員として加わった。1992年8月まで5回の協議会が開催された。


流域3市 (木更津・君津・袖ヶ浦)が水源保護条例を制定。

1994年12月、木更津市議会が全会一致で「水道水源保護条例」の制定を決議。1995年4月施行した。続いて、君津市、袖ケ浦市も、それぞれの「水道水源保護条例」を制定。1995年3月同様条例を袖ヶ浦市議会採択。6月には君津市議会が採択、11月施行。

1995年には、小櫃川流域3市すべてが、保護条例を制定・施行を実現した。
細部ではそれぞれの地域特性による相違はあるものの、以下の基本内容は一致している。

●「水源を保護し、清浄な水を確保して、市民の健康と文化生活を守る」とする水質規制を目的とする行政指導型の規定であること。
●市長が水源保護地域を指定したいときは、まず市議や学識経験者などで構成する市水道水源保全審議会の意見を聞くこととしていること。
●ゴルフ場、産廃場などを計画する事業者は、事前に市長に計画を届け出て協議し、排水基準に適合しない場合、市長は建設計画変更命令(改善命令)を出すことができること。
●また事業場設置や構造変更をしようとする者は、事前にその内容、および水質汚濁防止対策などを地域住民に知らせる説明会を開かなければならないこと。
●市長はその報告を求め、また立ち入り検査をすることができること。これに従わないときは罰金が課せられること。

水津条例.PNG


富津市田倉湯の谷に安定型産廃処分場建設問題発生。 「天羽の水を守る会」発足。

1995年5月24日、有限会社浅野商事という事業者が、富津市田倉湯の谷に、面積48,277㎡、埋立容量977,703㎥の安定型産廃処分場設置の許可を千葉県に申請した。1998年2月19日、地元住民が結束して「天羽の水を守る会」を発足させた。
小櫃川の水を守る会富津支部の鈴木紀靖さんが事務局長として参加し、会として全面的にサポートすることになった。同年3月11日、計画地300m以内の居住者を筆頭に周辺居住者2198名が県に不同意書を提出。6月24日、富津市議会が全員一致で設置反対を決議。12月18日、千葉県知事は条件付きで設置を許可。12月24日、「天羽の水を守る会」は8,800筆に及ぶ撤回請求陳情書を知事に提出。

 1999年10月5日、事業者は許可条件を無視して伐採工事を強行。11月15日、県は許可を取消。
12月13日、事業者は厚生省に行政不服審査請求を行う。
2000年3月30日、厚生省は千葉県の許可取り消しを取り消す。
2001年2月5日、事業者が建設工事着工。
3月12日、債権者242名が建設差し止め仮処分を申請。
2002年2月18日、千葉地裁が建設差し止め仮処分を決定。しかし事業者は仮処分決定を受け入れず、起訴命令の申し立てをした

天羽の水を守る会.PNG


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小櫃川の水を守る会結成30周年 1 [小櫃川の水を守る会]

発足30周年を迎えて
                 小櫃川の水を守る会 代表 関  巌

 小櫃川の水を守る会は1988年8月に発足しました。
その頃小櫃川の源流部に近い久留里大谷(くるりおおやつ)で産廃処分場建設の話しが持ち上がっていました。地元では当初反対であったのですが、男達は産廃業者の接待を受けて反対しなくなってしまいました。その時女の人たちが反対に立ち上がりました。

 10名くらいの60.70代の女性達です。その話しを聞いた高校の理科の先生方が呼びかけ、地元の人や子どもを持つ若い主婦の方々などと共に小櫃川の水を守る会を結成しました。
 初代会長には久留里大谷の72歳になる渡邉みつさんになっていただきました。君津4市や市原市など当初1000名以上の会員がいました。そして今までの30年間、地域の水や環境を守る運動を続けてきました。詳しくは山田さんによる「小櫃川の水を守る会の30年ー①」(後記)をお読み下さい。

 このような住民運動が30年間も続くのはあまり例がありません。今までこの運動を支えて下さった方々に深く感謝いたします。

今、最大の問題は久留里の小櫃川源流部にある新井総合の産業廃棄物処分場です。第3期増設の営業許可を県に申請していますが、この経過は異例づくしです。

①第1期処分場が漏洩事故を起こし原因が分からず搬入停止になっているのにもかかわらず県は第2期の営業許可を出した。

②地元自治体の君津市長、君津市議会が何度も設置反対を表明している。

③君津市などの反対で事前協議が終わらないのにもかかわらず営業許可の申請を県は受理した。

④アセスの審査で「処分場から汚染水が漏洩した場合には地下水や表流水が汚染される可能性がある」と専門家から何度も指摘されている。またその情報を県や業者は地元民に全く知らせていない。

⑤それに対する具体的な対策が示されていない。などなど。常識的に考えれば県は営業許可を出せるはずはないのに、許可を出す構えを見せている。住民の方を向かない行政は日本政府の縮図を見る思いがします。

 このように営業許可が出るかも知れない緊迫した状況のもとで小櫃川の水を守る会の総会を9月9日(日)久留里の上総公民館で行います。
 講師に千葉県の地質に詳しく県の専門委員会の委員も勤めておられる近藤昭彦教授にお話しを伺います。 ぜひ皆様お出で下さい。

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景観の持つ力とは何か 最終号 [小櫃川の水を守る会]

 時を忘れて先生の講義を聞いていると、先生は残された時間に気が付き、「時間が無くなりましたので少し急ぎます」と早口で話された。先生の語り口が速くなったようだ。と同時に声の調子も一段と熱気を帯びてきたようである。この報告の最重要部分に差し掛かっていることを感じた。私の報告も先生の熱気に合わせねばならない。

 千本松原(せんぼんまつばら)は静岡県沼津市の狩野川河口から、富士市の田子の浦港の間約10kmの駿河湾岸(正式名称富士海岸、通称千本浜)に沿って続いている松原である。

 話は平家物語に飛ぶ。平敦盛の子息をとらえた北条四郎は、鎌倉まで連れていくのだが、その途中でこの若君を斬らねば…と思っていた。鎌倉も近づき、千本松原にかかった際、いよいよその刑執行の最後の場であるということで、家来に命じるが、いたいけな若君をだれも斬ることはできないという。そこに頼朝からの書状が届き、若君の命は救われ北条の家の子郎党すべてが喜んだという話である。

 もう一つ「奥の細道」の事例も付け加えながら、死ぬときは美しいところで最後を終えたいという日本人の死生観(あるいは美意識)が表れていると指摘された。

 千本松原については、まだある。井上靖の「夏草冬涛」(ふゆなみ)の事例を挙げ、井上靖はこの松原でどのように青春時代を過ごしたか…そして碑文の中に次の文言があることを話された

千個の海のかけらが 
千本の松の間に挟まっていた
少年の日
私は毎日
それをひとつずつ食べて育った

 川村先生は、この碑文の前で立ちすくんだという。これを知りたかった・・という。景観とはそういうものである。景観とは人間が育っていく精神的栄養なのだ。

 最後になる。昭和21年8月に井上康文という方が「日本の山水」という本を出された。
その巻末に「美しい日本の山河を凝視しよう。心を豊かにしなければならない。ともあれ、今は種々の苦難を切り抜けていかねばならない。心にしみた汚濁は美しい日本の山河で洗い清めよう。そういう切々の願いからこの集を編んだ。先輩や友人諸兄の作品の中からこれらのすぐれた詩を選び出させてもらった。何よりも「日本の山水」を静かに読みたい。そう思いながらこれらの詩を幾度も読み選ばしてもらった。・・・」

 発行日は敗戦直後である。紙も、何もない食うや食わずの時期に、住むもの着るものもない時期にこのような本を出された。苦難を乗り越えるために日本の自然の力を糧にしなければならない。そういう人たちがいた。景観とは、自然の力とはそういうものだということを訴えたい。時間があればもう少し話したいが、このことを最後にお伝えして今日の話を終わりたいと思う・・・・。

 参加者は、自然保護運動に携わっている人たちである。一つ一つの話が、全て胸に突き刺さっていったものであるに違いない。ハンカチを握って離さない方がいた。きっと今日の先生の話は、日本という国の、歴史・文化を貫き、生きてきた人々の生きる糧は何であったのかを深く刻み付けるものになったに違いない。 以上報告とさせていただく。
  (報告の中でリニア新幹線問題等いくつかの重要な話を省いたことをお詫びする)

千本松原.PNG


kawakami

景観の持つ力とは何か 5 [小櫃川の水を守る会]

 歌人若山牧水のことを、ちょっと紹介しておこう。
旅を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に歌碑がある。大の酒好きで、一日一升程度の酒を呑んでいたという。自然を愛し、特に終焉の地となった沼津では千本松原や富士山を愛し、千本松原保存運動を起こしたり富士の歌を多く残すなど、自然主義文学としての短歌を推進した。(ウイキペディア)

 牧水の寄稿文の中に「吾妻渓谷」について書いた文章がある。馬車に揺られながら、この渓谷に深い感慨を覚えたことが書かれてある。特に岩の合間にしがみついているような老木のさまが何とも言えない見事さであるという。ここでの印象が忘れられず、再度訪れることになる。このときは歌集の編集のためであったが、旅館に着くと早速渓谷を見に行く。歩きながら22種もの歌を詠んだそうな。大きなつり橋がかかっていて、その中央に行き、そこで酒瓶の蓋を抜き、じっくりと飲み始めたそうである。結局そのとき歌集は作られなかった。1週間酒を飲んで過ごしたとのことである。

 このときの一文の中に、記録しておかねばならぬ文章がある。
「私はどうかこの渓間の林がいつまでもいつまでも、この寂と深みとを湛えて永久に残っていてくれることを心から祈るものである。ほんとに土地の有志家といわず、群馬県の当局者といわず、どうか私と同じ心で、このそう広大でもない森林のために、永久の愛護者になってほしいものである。もしこの流れを挟んだ森林がなくなるようなことでもあれば、諸君が自慢しているこの渓谷は、水が枯れたよりも悲惨なものになるに決まっているのだ。」(現代仮名遣いに訂正)

 牧水が熱望したこの吾妻渓谷が悪名高い「八ッ場ダム」の現地なのだ。この渓谷を水の底に埋めようとしている。首都圏の水は十分に足りているというのに・・。

 牧水の見た吾妻渓谷は次の世代はもう見ることができない。文化の共有は地域だけの問題ではない。われわれ国民すべてが共有者なのだ。先生は、熱を込めて語り続ける。(続く・明日最終)

景観の持つ力とは何か 4 [小櫃川の水を守る会]

ヘッドランドとは何かご存知か。川村先生が講演の中で話された九十九里浜のヘッドランドについて、実は、講演会場にもいらした「千葉県自然保護連合」の中山さんが、詳細に報告されている。詳しくは「九十九里浜の環境破壊を食い止めるために~人工岬「ヘッドランド」をめぐる攻防~」で検索するとよい。(下記URLをクリックするとすぐ出てくる。)

http://www.jawan.jp/rept/rp2015-j110/07.html

*「九十九里浜 やがて消滅か

 千葉県の九十九里浜は侵食が深刻になっている。2010年9月1日の『毎日新聞』(千葉版)は、「九十九里浜 やがて消滅か」というショッキングな見出しをかかげ、この問題を大きく報じた。

 砂浜侵食のいちばんの原因は海食崖(かいしょくがい。波浪の作用によって形成される海岸の急崖)の侵食を止めたことである。九十九里浜の両端には、屏風ヶ浦(びょうぶがうら)と太東崎(たいとうざき)の海食崖がある。その海食崖が太平洋の荒波に削られることによって大量の土砂が堆積していた。土砂は沿岸流の力でゆっくり移動し、堆積する。一説によれば、九十九里浜は6000年間で形成されたという。 

 こうした自然の営みが人の手によって阻害された。1960年代以降、屏風ヶ浦と太東崎の崖の前面に県が消波堤を築いた。目的は海食崖の侵食を食い止めることだ。そのため、九十九里浜への砂の供給量が激減した。また、漁港の防波堤整備が潮の流れを変えた。さらに、水溶性ガス採掘による周辺地域の地盤沈下も指摘されている。

 そこで県は、1988年からコンクリート製人工岬「ヘッドランド」の建設工事をはじめた。ヘッドランドは、宮城、千葉、神奈川など23道県に2009年3月末現在で計190基ある(着工未完成を含む)。そのうち千葉県は、九十九里浜に22基ある。北九十九里浜に12基、南九十九里浜(一宮海岸)に10基である。建設費は1基で約10億円である。(続く)

 川村先生は、具体的にヘッドランド設置以前の海岸と、設置後年月を経てどうなったのかという写真を明示された。(この海岸線がズタズタになった記録写真の場所名を記録できなかったが、惨憺たる状況が一目ではっきりした。)

 結論的には、このような人口構築物で砂の流出を阻むことは不可能であることを指摘された。蛇籠を置いて砂の流出を止めようという試みも、アカウミガメの産卵を妨げている。、
 砂の流出を防ぐには、森林を荒らさないこと・・それが自然の営みの中で砂を常に補給し続けていることを述べられた。

 九十九里浜におけるヘッドランド反対の運動の記録も含めて、中山さんの論文をぜひ立ち上げて最後まで読んでほしい。(続く)

99里浜.PNG

ヘッドランド2.PNG









景観の持つ力とは何か 3 [小櫃川の水を守る会]

「御宿」と言えば、一定の年配のものであればだれもが「月の砂漠」の歌詞を思い出すであろう。

月の砂漠をはるばると
旅のラクダが行きました
金と銀との鞍おいて
二つ並んでいきました

有名なこの歌の歌詞は、詩人であり画家でもあった加藤まさをの作品である。彼は病弱であったので、夏になると画版を抱えこの海岸の集落へ療養を兼ねてやってきたという。満月の夜、あかり一つない砂浜に腰を下ろし、自然に浮かんだのがこの歌詞であったのであろう。
加藤まさをが御宿で亡くなる数年前、この歌詞の記念像が建てられた。

加藤まさをの、回想録には、次のような文言がある。
「その頃~ざっと半世紀前~の御宿は今よりもずっとずっと寂かな美しい漁村であった。二キロもある弧状の海岸に白い波が微笑み、小麦色の広い柔らかな砂浜には、砂丘が幾重にも起伏してその背中には牛がつながれて寝そべったり草を食ったりしていた。(中略)」

「僕はほんとに運の良い男であります。もしも僕が御宿に来なかったら、もしも「月の砂漠」を書いたのが御宿のあの砂山でなかったら、こんな立派な記念像は永遠に立たなかったでありましょう。御宿の皆さん本当にありがとう。」

「加藤まさをという詩人が創られていく御宿の風景(景観)は、人間をはぐくむ力としての大切な要素を持っていると私は思うのです」・・と先生は、景観が持つ力をここでも発見されている。

 つぶやくような先生の言葉が続く。
 今いたるところの海岸には、大きなマンションが林立し、そこに住む人自体が景観を独占することで、最も大事な自然の景観を壊している。どういう景観を作ることが大切なのかを考えることをしない・・・寂しいことです。(続く)

御宿2.PNG




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