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小櫃川の水を守る会結成30周年 4 [小櫃川の水を守る会]

目まぐるしい攻防の末、住民は本訴訟に持ち込んだ。

2002年5月15日、142名の住民原告が千葉地裁木更津支部に建設・操業の差し止めを求めて提訴した。原告の内容は、飲料水を地下水やしぼり水に頼っている人・市営水道と井戸水を併用している人・地下水・河川水を農業用水で使用している人・水道水源汚染で被害を受ける可能性のある人・河川の汚染により漁業で影響を受ける人・大気汚染や道路環境生活環境で大きな影響を受ける人達だった。

公判はこの年の9月15日から2004年12月13日まで、2年3カ月に及んだ。
裁判の第1の争点は、安定型処分場に有害物質が混入するか否か、だった。
日々多数回にわたって搬入される大量の廃棄物の添加物として混然一体となっている有害物質を、手作業で除去することは不可能とされた。
しかも、970,000㎥もの大規模の廃棄物に混入する場合、微量の有害物質でも蓄積されて、人の健康に影響を及ぼす、と裁定された。

 第2の争点は、処分場に混入した有害物質が、処分場の外に流出するか否かだった。
2004年4月12日、裁判官が計画地現地を視察。
事業者は地下の地層は北へ傾斜しているから住民の生活に影響はないと主張した。が、被圧地下水の場合、導水勾配によって地下水の流動が起こり得る。さらに地層には断層や亀裂があり、しかも透水性の高い地層も存在するので、有害物質は井戸水に混入すると裁定された。
 
第1審、控訴審、上告審、すべて住民勝利。 住民、ゴミ弁連、地質研究者一体の、強い結束の成果だった。

2005年5月12日。第1審の判決が出た。井戸を使用する7名について原告・住民の訴えが認められ、事業者に処分場建設、使用、操業の禁止が申し渡された。

5月26日、事業者が東京高裁に7名を控訴した。一方、7名以外の一審原告87名も、5月31日、「恩田川下流域の汚染」「安定5品目自体の危険性」など第一審で認めら
れなかった健康被害の発生する蓋然性の認定を求めて、高裁に控訴した。控訴審は2005年8月31日の第1回口頭弁論から2007年9月3日の最終弁論まで、2年2カ月に及んだ。この間、2006年10月10日、控訴審裁判官も現地調査を行った。

2007年11月28日、控訴審判決が下された。事業者の控訴を棄却し、第一審の判決を支持するという判決だった。事業者は直ちに最高裁に上告した。
2008年7月4日、最高裁は上告を棄却した。
1998年2月から2008年7月まで10年半、訴訟期間だけを見ても6年余に及んだ田倉処分場闘争は、住民側の勝利で幕を閉じた。

この勝利は、いうまでもなく住民の一致団結した固い結束と粘り強い闘いの賜物であることはいうまでもない。が、裁判の最初から最後まで、訴訟手続き実費以外はすべて手弁当で弁護活動を引き受けて下さった、田中由美子弁護士をリーダーとする千葉県弁護士会のゴミ弁連(たたかう住民とともにゴミ問題の解決をめざす100人の弁護士の連絡会)メンバーの皆さんの力強いリードと、坂巻幸雄元日本環境学会副会長(環境地質学者)をリーダーとする緻密な地質・水質調査活動の支えがなかったら、この訴訟を最後までたたかい抜き、勝利にまでたどりつくことは、到底不可能だっただろう。

弁護士、原告団一緒になっての調査活動.PNG
                 





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