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袖ケ浦市と久慈市 投稿 [その他]

  横田のお兄さんです。

 2010年代最後の年、2019年が幕を開けて3ヶ月が経ちました。そして、30年間続いた平成もまもなく、その幕を閉じようとしています。

 来年はいよいよ2020年、オリンピックの年。年月の経過は長いようで短く、1年過ぎて2年過ぎて3年過ぎてとやっていると、10年は長いようで短くあっという間だったように思います。2011年の東日本大震災では、袖ケ浦でも今でも当日の記憶が忘れられないほどの揺れがありました。今でも当日のことは鮮明に覚えています。市原のコスモ石油のコンビナートで工場が爆発して、工場は火の海のように包まれ、五井や姉ヶ崎は交通が渋滞して大混乱に陥りました。

 東北の海沿いの町を大きな津波が飲み込む姿、そして原発に津波が押し寄せて制御不能に陥ったあの日のニュースは、日本にもこんな大きな地震があるんだ、こんな大きな津波が一瞬にして町を飲み込んじゃうんだ、原発は制御不能になるともはや人の手で回復させることや放射能のコントロールをすることは不可能なんだ、そういったことを感じました。

 震災から年月が経っていくとともに、被災した鉄道の復旧が進んでいきました。今年3月23日には、三陸鉄道リアス線が8年ぶりの運行を再開しました。岩手県内だけじゃなく全国のニュースで取り上げられたので、このニュースをご覧になられた皆さんも多いかと思います。

 ドラマ「あまちゃん」の舞台としても有名になったので、ドラマでもご覧になった方がいらっしゃるのではないでしょうか。三陸鉄道は岩手県の第3セクターの鉄道会社で、国鉄から引き継いだ南リアス線と北リアス線という2つの路線を1984年からの35年にわたり経営してきました。今回3月23日に新しく運行再開したリアス線は、JR東日本から山田線の一部になる宮古-釜石間を三陸鉄道が引き継いで経営を開始したものです。これにより、これまで山田線を挟んで分断されていた北リアス線と南リアス線が一体となって繋がりました。路線名はリアス線となり、盛駅から久慈駅まで163kmを結びます。

 山田線の復旧にあたっては8年かかった間にいろいろとあり、鉄道での復旧に8年もかかったことには理由があります。鉄道での復旧に至るまではたくさんの紆余曲折や苦労がありました。山田線は三陸の海沿いを行くローカル線です。利用者数は多くありません。山田線は駅や鉄橋が複数個所で流される、線路の路盤も流出するなどの被害を受け、今回移管された区間の拠点駅である陸中山田と大槌は2駅とも津波で流出するという大変な被害を受けました。

 震災から1年が経った頃から、手つかずになっていた地域の復興に向けた動きが少しずつスタートします。この過程で生まれたのがBRTという、線路跡地を舗装したバス専用道路を走るバスです。気仙沼線と大船渡線はBRTのバスで運行しています。
BRTの誕生を受けて、これまでの鉄道という形態にこだわらない復旧の提案として、JR東日本は山田線にもBRTの導入を働きかけます。JRはローカル線に多額の復旧費を出せないと考えたからです。しかし、地元の鉄道にかける思いは強く、「絶対に鉄道じゃなければだめだ。」と意志を貫き通したことで、今ここに最大のプレゼントの鉄道が開通して、新たな時代に向けてスタートが始まりました。

 復旧に当たっては、JR東日本が流された線路や鉄橋を敷きなおす工事、路線延伸にあたって必要な車両の無償譲渡、赤字補填用として30億円の協力金を負担するなど、JRの大きな支援による復旧で山田線引き継ぎによる三陸鉄道の復旧が実現しました。

 8年かかっての復旧であり、地元の人たちの感動はとても大きいものがありました。試運転の列車が走り始めた時から関心が高く、お客さんの乗っていない回送の試運転列車でも地元の人たちは線路沿いに集まり、列車に手を振る住民の姿がたくさんありました。開業当日は各駅に手旗や大漁旗をもった住民が集まり、列車を見送る温かい光景が見られました。地元の人たちの鉄道愛は大きく、三陸鉄道に対する地域の絆は強いものがあります。

 普通に考えたら無縁であると思う袖ケ浦と三陸は、大切なかけがえのない議会交流の繋がりで結ばれています。今回開業した区間ではなく、北の終点になる久慈になりますが、私たちの袖ケ浦との繋がりがあります。

 三陸鉄道とは、私たちの袖ケ浦は無縁ではありません。今回の山田線区間の移管による沿線とは外れ、北の終点の久慈になりますが、久慈市議会と袖ケ浦市議会は友好交流議会の提携を結んでいます。

https://www.city.sodegaura.lg.jp/site/shigikai/yuukougikai.html

 袖ケ浦にとって、久慈は岩手の他に宮城や福島にもたくさんある被災地の1つでしかないという単純なものではありません。遠く離れていても絆で結ばれた大切な仲間で、かけがえのない特別な存在です。

 震災後に結ばれたつながりとはいえ、袖ケ浦と久慈は結ばれたかけがえのない仲間です。議会交流ではこれまでに互いの市の相互の視察、交流カフェの久慈の運営手法を袖ケ浦で参考にする、災害時の助け合いを友好協定に結ぶなどの取り組みを行ってきました。
しかし、それは袖ケ浦市議会で生かされているだろうか。議会カフェはここ数年開催がありません。議会質問も3月は6人という情けない状況で、このままでは学んだことが何に生かされているのか疑問です。

 三陸鉄道では地域に密着した鉄道として運営していくだけに留まらず、イベント列車や地域産品とのコラボなどにも一生懸命取り組んでいます。乗ってもらうための工夫にたくさん取り組んでいて、地元の人たちに心から愛されている鉄道です。

 せっかく袖ケ浦と久慈は交流があるので、新しく発足した内房線や久留里線の活性化連盟について、三陸鉄道のノウハウを生かしてほしいと思っています。そしてそれは袖ケ浦だけじゃなく、房総全体の利益にもなることです。袖ケ浦の持つ久慈との人脈を、千葉のJRの活性化のために貸していただけないでしょうか。袖ケ浦市議会の皆さん。

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