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平井憲夫さんの遺言~その3~ [原発災害]

3回にまとめようと思いましたが、長いのでもう一日続けます。  kawakami

41. 最初に影響があるのは小さい子供たちです。 海には温排水を1秒間に600~1500t流している。海の生態系も全部変わってしまう。作業員の防護服、あれは防護なんかしません。普通の布と紙。これを洗濯する工場。水洗いして全部海に流しちゃうんですよ。これもひっかからない。

42. で、どういうことが起きてるか。福井の敦賀で工場やってる時、地元の漁師のおじいちゃんを使ってたもんで、今も船を出して調べるんですが、ナマコ。これあまり動かないんですが、ナマコの中にコノワタというのがある、これは弾力性があるんですが、原発の近くの海のものはプツプツ切れてしまう。

43. おじいさんに、「原発のせいかな、」と訊いても、絶対に原発のせいだとは言わないんです。 ただ「昔はいなかった」というだけ。アワビも、大きなのが取れる。2年ものだという。周辺の海はものすごく暖かいから育ってしまう。それを食べている人がいるんですよ。※講演は96年

44. 今原子力発電所が抱える問題は、事故の問題もあります。 それから故障の問題。それから放射能汚染の問題がある。 私自身が原発を辞めた、それまでは自信を持って作っていましたが、辞める10年前からはとにかく批判してきました。このままではだめだと。日本の原子力は駄目になると。

45. まず最初は事故隠し。現場責任者として、私の下に、300人以上、いつも孫請け、下請け含めて、いました。 現場責任者の一番の仕事は何かというと、朝起きる、「さあ今日は朝礼でどういう嘘をつこうか」、ということ。嘘をつくことから始まるんですよ。

46. 一般作業員には、事故を教えないんです。どう言ってごまかして説明しようかと。地元にしてばれると都合が悪い。それを隠すのが現場責任者の仕事。 定点工事では、3か月間、全員が毎日被曝するんですよ。大量の被曝をすることもある。その時でもいかにそれをごまかすかと、これなんです。

47. 原子力発電所で働く。この時まず最初に放射線管理教育をします。どういうものかというといわゆるマインドコントロール、洗脳なんです。国の許容線量を守っているから絶対大丈夫なんだ、世間で原発反対グループが言っているようなことは大ウソだと、5~6時間かけて教えるんです。※講演は96年

48. 私はそれを20年やってきた。私がいないときには、監督とか、管理責任者にやらせていた。今思えば、オウムの麻原とまったく同じことをやってきたなと。 今、その人達が皆被曝で苦しんでる。でも未だに、原発のせいだとわかっていないんですよ。絶対大丈夫だって言ってきたから。

49. ある日孫請けの人が通常の五百倍の被曝をしてしまった。外部被曝はある程度洗い落とせる。怖いのは内部被曝です。 原発は運転を開始すれば、塵として放射性物質があの中に飛んでるんです。それを鼻か口から取り込んでしまう、これが一番怖いんです。私も内部被曝は何10回としている。

50. その五百倍の被曝をした人、本人には知らせないです。会社側だけが知ってるんです。教えないから。でも、通常の500倍は聞いたことも見たこともない数値なんですね。これは大変なことをやってしまったなと。

51. これは東京電力の福島原発の現場だったんですが、私は福島原発から新橋の東京電力の本社まで行き、その人に対して、注射をすりゃいいのか、薬を飲ませればいいのか、経験がないから訊いた。 そうすると放射線管理の担当者は逃げ回って会おうとしない。

52. 通産省にいく。資源エネルギーの担当者も逃げ回り、会おうとしない。 わかるんですよ。どういうことか。内部被曝すると、3日間位経つと汗や小便と一緒になくなっていく、だから逃げ回ってる間に数値が下がると思ったんでしょう。証拠がなくなるから。でも3か月経っても下がらなかった。

53. でも、本人とは毎日顔を合わさなければならない。 その時から、現場に出すのはやめさせて、「あなたはこまめに働いているから地元のごみを管理してくれ」とか言い訳して。 私はもう「原子力から縁を切る時期になったな」と。あまりに自分が情けなくなったんです。

54. このことがあってから、いつでも辞表を出せるようにして。でもこの人のことは片付けなきゃ駄目だと。ある日通産省から出てきてくれと。被曝した人の治療法が見つかったのかと思ったら、「ナイジェリアに技術指導に行ってくれ」と。見え見えですよ。私が内部のことをばらしてしまうからだと。
55. というのは私が前からマスコミにそれとなしに話をしていたんですね。東京電力、通産省、日立、三者がグルで、「アフリカにやっとけ」と。私は海外に何か国も行ってます。アフリカに行って、2年11か月して帰ってきました。

56. 帰ってきて、被曝した方に会うと、その人はまだ、通常の300倍くらいの被曝線量が残っていた。 放射性物質を体に入れたまま。これほど怖いことはないんです。 その時、すぐに会社に辞表を出した

57. ずっと内部のことを伝えていた講談社の『週刊現代』の記者に「この人を大阪の放射線障害の専門の先生の所に連れて行ってくれと頼みました。 交換条件として『週刊現代』に全部資料を渡して、記事にしていいと。5年経って、私は初めてその人に頭を下げました。

58. どうもないかと訊くと、どうもないという。じゃあ、体に斑点できてないかと訊くと、背中の方にできてる。朝起きるのが億劫じゃないかと訊くと、疲れてるからという。症状を聞けば全て放射線障害の症状なのです。でも私が頭を下げるまでその人は、原発は安全だと思い込んでいた。

59. 医者に連れて行って貰ったら、「何故もうちょっと早く来なかった」といわれた。それだけの被曝をしていても、作業員本人には知らせないんです。

60. 放射線管理教育そのものが下請け任せなんです。 私は現場を離れてから、「電力会社の設備で働くんだから、電力会社の人が責任を持ってそういう教育をしてください」と、「癌や白血病になる恐れがあると話してほしい」といっているんです。

61. 電力会社は自分の社員にはそういうことを話すんです。自分の新入社員には、原発のこことここは放射線量が高いから近寄るなと。放射線障害になると癌になると教えているんです。 それが下請けになると教えない。私はその資料も持っている。どうですか?人間扱いじゃないんです

62. 毎年、被曝線量が発表されますが、電力会社の人は一般作業員の50分の1です。 私は電力会社の方も同じように被曝すればいいというのではなく、下請けの人にも同じように放射線管理教育をしてほしいと言ってるんです。

63. 私がお世話になった下請、孫請けの人、どれ位の人が被曝で困っているか。どうしてもどうにかしなきゃいけないと。 被曝をした労働者は、何回も労働基準監督所の窓口に行きましたが、書類さえ受け取らない。日本の原発には被曝等あり得ないのだからと。労働省もグル。知識もない。※講演は96年

64. 通産省が大丈夫という、それ以外の話を聴いていないんです。これは駄目だ、と。そこで私は1990年の11月に原発被曝労働者救済センター※というものをお医者さんや弁護士さん、近所の人たち、ボランティアで設立しました。(※現在は後継者なく、なくなったとのことです)

65. どの位反響があったか。マスコミがものすごく大きく取り上げた。我々お金もなくて、電話も一本だけ。かかってくる電話があまりに多いため、NTTさんが受ける電話をサービスで10本つけてくれた位でした。1ヶ月で1000人を超えたんです。原発で働いていたんだ、お父さんが死んだんだとか。
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