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千葉県議会傍聴記 1(本澤二郎) [議会ウオッチング]

  千葉県議会と袖ケ浦市議会を傍聴された、著名な政治評論家・本澤二郎氏の傍聴感想記が届いた。ご本人の許可を得てブログに2回に分けて掲載させていただく。  

本澤二郎の「日本の風景」)

<死んでいた地方議会=千葉県と袖ヶ浦市の閉ざされた議会運営

「自由で開かれた議会運営は民主政治の原点」だが、それが機能していない。立法議会は行政に支配されている。相当の覚悟がないと傍聴も取材も不可能。傍聴席も記者席も机がないという酷い体験をした2023年12月14日の凡人ジャーナリストの思いを記録したい。

 午前10時開会の千葉県の環境問題の常任委員会を、この歳になって初めて体験した印象は、きわめて悪い。血税で腹を膨らませている県議は、開会直前に委員会室に飛び込んでくる。審議の資料に目を通す者はいないか少ない。開会後に飛び込んでくるもの、中には欠席者も。

 傍聴席の目の前には、巨大な柱が邪魔して委員会室の様子が見えない。県民・住民の扱いがひどく悪い。環境部長が始めに発言すると、あとは県の課長クラスが答弁して、審議らしい審議はない。「挙手多数」という初めて聞く用語に驚く。血税を使用した補正予算案が、ポンポンとエスカレーターに乗せられた荷物のように可決されていく。

 共産党や立憲民主党の意見書は審議もしない。ぽいと捨てられる。驚いたことに共産党を名乗る県議は、房総半島がごみ溜めにされているというのに、環境委員会に席がない。

 共産党も死んでいる。地方議会も死んでいる。そして永田町の自民党も死んでいる。この国の民主主義が死んでいた!

 形だけの傍聴席は数時間も座っていると、腰が痛くなり体をよじりたくなるが、隣席の傍聴者に気まずい思いをさせるので、じっと耐える、耐えなければ傍聴もできない。主権者に対する、納税者に対する議会・行政の扱いは、酷いの一語で切り捨てるほかない。

 当初、傍聴は先着順というので、昨日は午前4時に起きて原稿を処理してブログに発信して、8時過ぎに袖ヶ浦市林地区の区長が運転する大きな車に乗って、9時30分ごろ県議会に到着し、やれやれと安心していると、議会担当者が「抽選で決める」と通告してきた。20人以上は席がないというのだ。傍聴人は直前に一室に呼びこまれた。傍聴できるかわからない傍聴希望者に「これするな」の小役人がまとめたらしい禁止事項が書かれた用紙を読ませられるのである。さしずめ羊扱いに声を挙げたくなってしまうが、それでも耐えるしかない。

 運よく傍聴人が20人以下だと判明して安堵する凡人ジャーナリストも哀れをかこつ。さすがに言論の府、国会の記者席はたっぷり椅子が用意されているが、この場はがら空きである。悲しいかな机がない。膝の上の資料の隙間にメモするだけだ。衆院と参院の本会議場での記者席しか知らない記者は、2時間余の忍耐に何とか耐えることができたのだが。

<核汚染ごみ投棄回避=原子力マフィアに完全服従の環境行政>

 肝心の審議内容だが、委員長と役人の事前の進行調整が完璧で、発言は早口に慣れている。各委員席には立派なマイクが用意されているが、大半がスイッチを入れない。目も前の会話がぼそぼそ声にしか聞こえない。

 質問者と答弁する小役人の間だけの対話にうんざり。県政記者会の不見識を露呈していた。なぜ改善しないのか。若者の記者は気付かないのだろうか。与党自民党が主導する委員会だから、質問をする議員はまれだ。甘い甘い質問を聞いてる方はあきれてしまう。

 ライフル射撃がどうのこうのという議論に耳を傾けたが、細部については聞けない。見ざる聞かざる話さずの県議会に疲れてしまう、要するに時間の無駄づかいでしかなかった。

 衝撃を受けたことは、傍聴者の林地区住人や袖ヶ浦市民団体が強く要望した核汚染ごみ不法投棄疑惑の追及はおろか、それを9年も放置してきた千葉県環境部と歴代知事に対して、質問者の徹底追及はなかった。核も放射能も全く声にならなかった。

 やはり原子力ムラどころか、原子力マフィアに屈服した千葉県政そのものを証明した。この思いは林地区や高谷地区の住民のみならず、君津郡市で水と空気の浄化に長年取り組んできた市民運動の大家の共通した思いとなった。    (明日に続く)




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