日本社会の歪みの構図 [日本の将来]
二人の会員から、同時に同じ文書が送られてきた。今日はその文書を紹介しよう。kawakami
「保阪正康が語る日本社会の歪みの構図「BC級戦犯裁判のようだ」
6/7(木) 17:40配信
このところ急激に現代社会の歪ゆがみの構図が浮かび上がってきている。背筋が寒くなるような構図だと言っていい。この1カ月の間に、メディアをにぎわせた事件を並べてみると、すぐに分かる。
首相元秘書官が、加計学園の獣医学部新設を巡って愛媛県や今治市の職員とは会った記憶がないと言っていたのに、5月の参考人招致では「随行者の中にいたのかもしれない」と修正する。国会周辺で自衛隊中堅幹部が、参議院議員に「おまえは国民の敵」呼ばわりしたとされる(当の幹部は言っていないとのことだが)。愛媛県が国会に提出した文書では、加計孝太郎理事長が安倍晋三首相と会った際、首相は「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」と太鼓判を押したとある。首相のこれまでの答弁内容とは大きく異なる。
さらに財務省が、森友学園との交渉記録を国会で問題になっているときに意図的に廃棄していた件。防衛省のイラク日報が隠蔽(いんぺい)されていて防衛次官ら17人が処分を受けた件などが、連日新聞の紙面をにぎわせている。
日本大アメリカンフットボール部の選手が、悪質な反則行為で関西学院大の選手を負傷させた問題もだ。当の学生が監督、コーチの指示をたった一人の記者会見で告白したのに、監督、コーチはそんなつもりで言ったのではないと「(解釈の)乖離(かいり)」で乗り切ろうとしている件も、歪みの構図の典型であろう。
これらの事象を見ていると、この社会は虚言、ごまかし、言い逃れ、果ては責任転嫁が当然との感がする。そして、この構図は二つの特徴を持っていることが容易に分かるだろう。
▽「始末しろ」
一つは、責任は「より下位の者に押しつけられる」である。もう一つは自衛隊中堅幹部の件のように「言った」「言わない」に持ち込み、うやむやにしてしまおうとの計算である。私たちは、誰の言を信用するのか、という基本的な次元に追い込まれているということでもある。
この二つの特徴を最もよく重ね合わせることができるのは、太平洋戦争後に、連合国によって裁かれた日本人将校、下士官、兵士のBC級戦犯裁判である。
日本軍将兵の非人道的行為は、米国、英国、オランダ、フランス、ソ連、中国など各国の法廷で裁かれた。実際に手を染めた兵士は、上官の命令によって捕虜を処刑している。しかし、裁判で上官は「殺害しろ」とは言っていない、「始末しろ」とは言ったけれど、と強弁し、兵士たちが死刑判決を受けたケースも少なくない。トラック島における捕虜の人体実験と疑わしきケースでは、警備隊責任者の海軍中将と軍医長の中佐らの間で、捕虜の処分を言った、言わないの対立を続けた。
それは、下級兵士の運命にまで関わっていく。
BC級戦犯裁判の残された記録(意図的に焼却されたものも多い)は、末端の兵士に責任が押しつけられていくケースが多いと語っている。この構図は、「言った」「言わない」や「会った」「会っていない」の社会事象と全く同じなのである。
▽時代は正念場
私は日大アメフット部の監督とコーチが記者会見で語った弁解と孤立する学生、そして柳瀬唯夫・元首相秘書官や佐川宣寿・元財務省理財局長の国会での答弁などは、まさにBC級戦犯裁判そのものだとの感がしてならない。責任を押しつけられる末端の官僚が資料の改ざん、隠蔽を行い、あるいは自死を選ぶ悲劇は、近代日本の歪みの構図と思えてならないのだ。
もう一つの構図は「下克上」である。自衛隊中堅幹部の暴言は、単に一議員への異議申し立てではなく、立法府の否定に通じている。イラク日報の隠蔽を事務連絡の不備にすり替えるのは、行政の責任者や立法府への公然とした抵抗であり、かつて日本の軍官僚が行っていた「下克上」に通じている。
いま、私たちは歴史が繰り返されているとの緊張感を持たなければならないだろう。いや「歴史の教訓」が生かされていないことへの怒りと、私たち一人一人の運命が、こんな構図の中で操られていくことを透視する力を持たなければならないはずだ。時代はまさに正念場なのである。(ノンフィクション作家)
1939年、札幌市生まれ。同志社大卒。「昭和史を語り継ぐ会」を主宰。昭和史の実証的研究を独自の視点で続ける。2004年に菊池寛賞。著書に「昭和陸軍の研究(上下)」「昭和天皇実録 その表と裏」「戦場体験者 沈黙の記録」など。(共同通信)」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180607-00263991-okinawat-oki
「保阪正康が語る日本社会の歪みの構図「BC級戦犯裁判のようだ」
6/7(木) 17:40配信
このところ急激に現代社会の歪ゆがみの構図が浮かび上がってきている。背筋が寒くなるような構図だと言っていい。この1カ月の間に、メディアをにぎわせた事件を並べてみると、すぐに分かる。
首相元秘書官が、加計学園の獣医学部新設を巡って愛媛県や今治市の職員とは会った記憶がないと言っていたのに、5月の参考人招致では「随行者の中にいたのかもしれない」と修正する。国会周辺で自衛隊中堅幹部が、参議院議員に「おまえは国民の敵」呼ばわりしたとされる(当の幹部は言っていないとのことだが)。愛媛県が国会に提出した文書では、加計孝太郎理事長が安倍晋三首相と会った際、首相は「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」と太鼓判を押したとある。首相のこれまでの答弁内容とは大きく異なる。
さらに財務省が、森友学園との交渉記録を国会で問題になっているときに意図的に廃棄していた件。防衛省のイラク日報が隠蔽(いんぺい)されていて防衛次官ら17人が処分を受けた件などが、連日新聞の紙面をにぎわせている。
日本大アメリカンフットボール部の選手が、悪質な反則行為で関西学院大の選手を負傷させた問題もだ。当の学生が監督、コーチの指示をたった一人の記者会見で告白したのに、監督、コーチはそんなつもりで言ったのではないと「(解釈の)乖離(かいり)」で乗り切ろうとしている件も、歪みの構図の典型であろう。
これらの事象を見ていると、この社会は虚言、ごまかし、言い逃れ、果ては責任転嫁が当然との感がする。そして、この構図は二つの特徴を持っていることが容易に分かるだろう。
▽「始末しろ」
一つは、責任は「より下位の者に押しつけられる」である。もう一つは自衛隊中堅幹部の件のように「言った」「言わない」に持ち込み、うやむやにしてしまおうとの計算である。私たちは、誰の言を信用するのか、という基本的な次元に追い込まれているということでもある。
この二つの特徴を最もよく重ね合わせることができるのは、太平洋戦争後に、連合国によって裁かれた日本人将校、下士官、兵士のBC級戦犯裁判である。
日本軍将兵の非人道的行為は、米国、英国、オランダ、フランス、ソ連、中国など各国の法廷で裁かれた。実際に手を染めた兵士は、上官の命令によって捕虜を処刑している。しかし、裁判で上官は「殺害しろ」とは言っていない、「始末しろ」とは言ったけれど、と強弁し、兵士たちが死刑判決を受けたケースも少なくない。トラック島における捕虜の人体実験と疑わしきケースでは、警備隊責任者の海軍中将と軍医長の中佐らの間で、捕虜の処分を言った、言わないの対立を続けた。
それは、下級兵士の運命にまで関わっていく。
BC級戦犯裁判の残された記録(意図的に焼却されたものも多い)は、末端の兵士に責任が押しつけられていくケースが多いと語っている。この構図は、「言った」「言わない」や「会った」「会っていない」の社会事象と全く同じなのである。
▽時代は正念場
私は日大アメフット部の監督とコーチが記者会見で語った弁解と孤立する学生、そして柳瀬唯夫・元首相秘書官や佐川宣寿・元財務省理財局長の国会での答弁などは、まさにBC級戦犯裁判そのものだとの感がしてならない。責任を押しつけられる末端の官僚が資料の改ざん、隠蔽を行い、あるいは自死を選ぶ悲劇は、近代日本の歪みの構図と思えてならないのだ。
もう一つの構図は「下克上」である。自衛隊中堅幹部の暴言は、単に一議員への異議申し立てではなく、立法府の否定に通じている。イラク日報の隠蔽を事務連絡の不備にすり替えるのは、行政の責任者や立法府への公然とした抵抗であり、かつて日本の軍官僚が行っていた「下克上」に通じている。
いま、私たちは歴史が繰り返されているとの緊張感を持たなければならないだろう。いや「歴史の教訓」が生かされていないことへの怒りと、私たち一人一人の運命が、こんな構図の中で操られていくことを透視する力を持たなければならないはずだ。時代はまさに正念場なのである。(ノンフィクション作家)
1939年、札幌市生まれ。同志社大卒。「昭和史を語り継ぐ会」を主宰。昭和史の実証的研究を独自の視点で続ける。2004年に菊池寛賞。著書に「昭和陸軍の研究(上下)」「昭和天皇実録 その表と裏」「戦場体験者 沈黙の記録」など。(共同通信)」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180607-00263991-okinawat-oki
2018-06-11 15:31
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