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新春・沖縄を考える 1 [平和]

 ここに挙げようとしているのは、12月18日「東京新聞・視点」に記載されていた比屋根照夫氏(琉球大学名誉教授)の一文である。沖縄を考えるとき、私はこの論文に戻って考える。今日・明日と、この論文を紹介する。 kawakami

  誰のための「国家」か

 近代沖縄の知識人は「日本」と「沖縄・琉球」の間に横たわる溝を「埋められない塹壕」と慨嘆した。
 沖縄の原風景をとどめ、貴重なサンゴや豊かな自然を残す辺野古(沖縄県名護市)の海を破壊する新基地建設。知事選、衆院選、名護市長選で反対派の民意が勝利しても、日米両政府は建設の方針を変えない。事態は、県外の機動隊を投入しての暴力的対応。隊員による反対派住民への「土人」との罵声につながり、米軍基地偏在の被害は昨年、元米兵による女性暴行殺害事件という形でも現れた。「沖縄」にとって「日本」とはなにか。と、心底から痛憤する声が今沖縄には充満している。

 思えば「帝国日本」が明治十二年(1879年)「琉球処分」を行って以来、沖縄は日本国家の「植民地」であったと断定せざるを得ない。徹底した「同化政策」。琉球語「島言葉」の禁圧。明治の沖縄言論人は、これを「歴史隠滅策」と激しく弾劾した。そればかりではない。中国をはじめとする東南アジアと琉球との交流で築かれた豊かなアジア像は、「琉球王国」の廃絶とともに近代の歴史上から姿を消し、外部から「帝国」への侵入を防ぐ鎖やく(さやく・要所)の位置に転落した。(続く)
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