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議会傍聴記~その8~最終 [議会ウオッチング]

 今回の議会傍聴記は、4人の議員の{塚本、篠崎(典之)、佐久間、佐藤各議員}傍聴で終わってしまったようです。興味ある項目の質問が多々ありました。石井議員の質問などぜひ聞きたかったのですが、空いた時間に傍聴に駆けつけている身にとっては、傍聴といっても思うようにはならないのです。これで議会が夜分にでも開かれるのであれば、じっくり聞けるのですが・・今の状態では、毎回こんなことになるのかな?

 ところで、つい教科書採択問題で書き連ねてしまいました。最後は森田県政下での教科書採択問題を書こうかな?と思っていましたが、昨日、奥村組との話し合いを行いましたので、それは今後の状況のために取っておくことにいたします。

佐藤議員の健闘を祈ります。

 明日は奥村組との話し合いの報告に入ります。

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日本国民

「沖縄戦では集団自決の事実をゆがめ日本軍の責任を認めていません」
の真実

【反戦平和の島・沖縄の真実】照屋昇雄氏 証言[桜H21/9/28]
Youtubeでご覧ください。

 渡嘉敷島の集団自決について照屋昇雄さんが証言しています。戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった人です。座間味と同じようにやはり援護法に基づく年金や弔慰金の支給が絡んでいました。同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上し、村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得、照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出しました。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったといいます。
 平成18年の証言映像では照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話しています。


昭和四十五年三月二十六日午後五時過ぎ、赤松元大尉と生き残りの旧軍人、遺族十数名は大阪から、二十八日に渡嘉敷島で行われる「二十五周年慰霊祭」に出席のためやって来た。


沖縄タイムス(三月三十日付)
「五十年配の人たちは男女の別なく、生き残り将兵等と手を取り合った。炊事班に借り出され、赤松隊で働いていたという夫人などは、顔を覚えていた何人かをつかまえ、当時はお世話になりました、と涙を流さんばかりだった」


死ねと言った人が戦後、島に来て住民と手を取り合ったり、当時の関係者が集まって二十五周年慰霊祭をやったりしますか?


私も佐藤議員の健闘を祈っています。
by 日本国民 (2011-06-24 14:39) 

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