ワコー核汚染ごみで有名な袖ヶ浦市の陣場台に立つ! [残土埋立]
今日は時々転載する本澤氏のブログより転載します。意見交換会の記事は明日にします。
(実は毎日交換会の記事を書くのがちょっと大変なので) 2024/03/05 せき
本澤二郎の「日本の風景」(5094)
<ワコー核汚染ごみで有名な袖ヶ浦市の陣場台に立つ!>
2024年3月3日の昼下がりに、袖ヶ浦市林地区の山林に分け入った。そこでシイタケ木で知られるクヌギの伐採現場を初めて見学した。地元では陣場台と呼ばれている30メートルほどの高台で、周囲には規模の大きな養鶏場がいくつか見える。しかし、嫌な鶏糞のにおいがしない。「においのしない餌を与えている」というのだが?
この日は、いつものような強風は姿を消して、犬が日向ぼっこしているほど穏やかな日和。空は雲が一つもなく青々と広がり、春のような陽光が房総半島を照らして、自然の美しさを存分に披露していた。巨大地震?を予想させる時々の地震のことも、クヌギに圧倒されてさして気にならない。
地元の住民の調査では、ここ陣場台は木更津市に本社のある産廃大企業・ワコーが、311のフクシマ核汚染ごみを、30メートルもの高さの盛り土に埋めた地獄のような場所。「核汚染ごみをおよそ60万立法メートルも埋設した」と住民は衝撃を受けている。業者は土地の所有権をくるくる変え、経営者は住民の要望に応えようとはせず、いまだに「コロナ」を口実に雲隠れに励んでいる。もうこのことだけで、ワコーの不正は分かる。
この一帯は、かつては地元で山林王と呼ばれていた人の所有で、敗戦後も炭焼きのための木材(クヌギ)供給林と炭焼き釜の場所だった。クヌギはシイタケ用として貴重な資源である。しかし、311の核汚染の被害を受けて、生産者のシイタケ用に使用することは禁じられている。個人が利用している程度だが、既に戦後79年になる。一部のクヌギは70年ほどの樹齢だから、太くて背も高い。
そのクヌギ伐採現場を見せてくれるというので、元山林王の子孫が声をかけてくれたので、日曜日の見学会となった。
それにしても、30メートルの高さの台地のような場所なので、樹木を伐採すれば、住宅も立つ。現に数十メートル先に2階建ての立派な家が、高級別荘のような風情で、自然をそっくり取り込んで、優雅な雰囲気を醸し出していた。先日見学した勝浦市の八幡岬公園の太平洋の波しぶきもいいが、山林のどっしりとした環境美もまた、素晴らしく人間を心豊かにしてくれる。いわば房総半島の軽井沢ではないか、と感じ入ってしまった。
ここで放し飼いの本物の卵や肉を生産したら、さぞかし消費者は喜んでくれるだろうと余計な心配をしてしまった。
敗戦後の貧しい時代を過ごした幼子にとって、タンパク源の卵は貴重で高価なものだった。自宅の家の数羽の鶏に田んぼのあぜ道でつかまえたイナゴを食べさせても、なかなか卵を産んでくれなかった。小学校に入る前から山奥にある母の実家(七曲り)に歩いて1時間かけて押しかけると、祖父母が放し飼いの鶏の卵と庭先のネギを刻んで、醤油をかけて食べさせてくれた。最高の贅沢だった。小学校に入ると、土曜日になると決まって七曲りのケンちゃんと山道を歩いて、祖父母の家に飛び込んだ。往復2時間が全く苦にならなかった。
祖母との最初の思い出は1942年の日本敗戦直前だった3歳のころ。母は兄と弟を連れて、水戸の海軍航空基地に慰問に出かけた。次男の面倒を祖母が見てくれた。母が無事に帰宅すると、なにやら奇声を上げて母の懐に飛び込んだ、と後年祖母がよく語って聞かせてくれた。
この陣場台の現場には、もう一人戦争遺児の関巌さんもいた。君津郡市の市民運動家で元木更津高校教師。敗戦後の母親の苦労は並大抵ではなかったようだ。戦争だけはさせてはならない。筆者の信念である。43兆円の戦争準備を押しつぶす責任が、国民にある!
「袖ヶ浦市の別荘地」に立って上を見上げると、まさに広大無辺の大空が地球を抱いてくれていると実感する。千葉県森林組合の幹部・御園豊さんが、大きなチェーンソーにエンジンをかけると、樹齢70年のクヌギの大木が倒れる。本来は、シイタケ生産者の下でのシイタケ栽培で、人々の食生活を豊かにしてくれるはずだったのが、それを311の東電福島原発爆発炎上で、悪魔の放射能が300キロ離れた首都圏の房総半島にまで飛来した。
改めて、原発推進に狂奔したA級戦犯の岸信介や読売新聞の正力松太郎、そして今は車いすの渡辺恒雄と彼の仲間の中曽根康弘のことも思い出される。「今だけカネだけ自分だけ」という悪魔に魅入られた輩の政治路線が、安倍晋三を経由して今日の岸田文雄に継承されてきた。その因果が地方の行政ややくざ暴力団、そして公明党創価学会にも継承されている。
形も見えない。色も臭いもしない。人間も小鳥も樹木も気づかない放射能・核エネルギーの先は、核兵器による人殺しが悪魔の目的である。
陣場台の核汚染ごみ埋設現場を、放射能測定器で射止めた張本人・御園豊の複雑な心情を、まだ誰一人知ろうとはしていない!陣場台の道は険しくも遠い。しかし、御園家の暖炉で体を温めると勇気が出るから不思議。共に核汚染ごみを追放しないと、万一の巨大地震が想定されるだけに、64トンの劣化ウランだけでなく、盛り土埋設の汚染ごみ散乱で首都圏は崩壊の危機を!核汚染ごみの排除は、君津市の東洋一の産廃場とともに喫緊の課題である。
2024年3月4日記(平和軍縮派ジャーナリスト)
(実は毎日交換会の記事を書くのがちょっと大変なので) 2024/03/05 せき
本澤二郎の「日本の風景」(5094)
<ワコー核汚染ごみで有名な袖ヶ浦市の陣場台に立つ!>
2024年3月3日の昼下がりに、袖ヶ浦市林地区の山林に分け入った。そこでシイタケ木で知られるクヌギの伐採現場を初めて見学した。地元では陣場台と呼ばれている30メートルほどの高台で、周囲には規模の大きな養鶏場がいくつか見える。しかし、嫌な鶏糞のにおいがしない。「においのしない餌を与えている」というのだが?
この日は、いつものような強風は姿を消して、犬が日向ぼっこしているほど穏やかな日和。空は雲が一つもなく青々と広がり、春のような陽光が房総半島を照らして、自然の美しさを存分に披露していた。巨大地震?を予想させる時々の地震のことも、クヌギに圧倒されてさして気にならない。
地元の住民の調査では、ここ陣場台は木更津市に本社のある産廃大企業・ワコーが、311のフクシマ核汚染ごみを、30メートルもの高さの盛り土に埋めた地獄のような場所。「核汚染ごみをおよそ60万立法メートルも埋設した」と住民は衝撃を受けている。業者は土地の所有権をくるくる変え、経営者は住民の要望に応えようとはせず、いまだに「コロナ」を口実に雲隠れに励んでいる。もうこのことだけで、ワコーの不正は分かる。
この一帯は、かつては地元で山林王と呼ばれていた人の所有で、敗戦後も炭焼きのための木材(クヌギ)供給林と炭焼き釜の場所だった。クヌギはシイタケ用として貴重な資源である。しかし、311の核汚染の被害を受けて、生産者のシイタケ用に使用することは禁じられている。個人が利用している程度だが、既に戦後79年になる。一部のクヌギは70年ほどの樹齢だから、太くて背も高い。
そのクヌギ伐採現場を見せてくれるというので、元山林王の子孫が声をかけてくれたので、日曜日の見学会となった。
それにしても、30メートルの高さの台地のような場所なので、樹木を伐採すれば、住宅も立つ。現に数十メートル先に2階建ての立派な家が、高級別荘のような風情で、自然をそっくり取り込んで、優雅な雰囲気を醸し出していた。先日見学した勝浦市の八幡岬公園の太平洋の波しぶきもいいが、山林のどっしりとした環境美もまた、素晴らしく人間を心豊かにしてくれる。いわば房総半島の軽井沢ではないか、と感じ入ってしまった。
ここで放し飼いの本物の卵や肉を生産したら、さぞかし消費者は喜んでくれるだろうと余計な心配をしてしまった。
敗戦後の貧しい時代を過ごした幼子にとって、タンパク源の卵は貴重で高価なものだった。自宅の家の数羽の鶏に田んぼのあぜ道でつかまえたイナゴを食べさせても、なかなか卵を産んでくれなかった。小学校に入る前から山奥にある母の実家(七曲り)に歩いて1時間かけて押しかけると、祖父母が放し飼いの鶏の卵と庭先のネギを刻んで、醤油をかけて食べさせてくれた。最高の贅沢だった。小学校に入ると、土曜日になると決まって七曲りのケンちゃんと山道を歩いて、祖父母の家に飛び込んだ。往復2時間が全く苦にならなかった。
祖母との最初の思い出は1942年の日本敗戦直前だった3歳のころ。母は兄と弟を連れて、水戸の海軍航空基地に慰問に出かけた。次男の面倒を祖母が見てくれた。母が無事に帰宅すると、なにやら奇声を上げて母の懐に飛び込んだ、と後年祖母がよく語って聞かせてくれた。
この陣場台の現場には、もう一人戦争遺児の関巌さんもいた。君津郡市の市民運動家で元木更津高校教師。敗戦後の母親の苦労は並大抵ではなかったようだ。戦争だけはさせてはならない。筆者の信念である。43兆円の戦争準備を押しつぶす責任が、国民にある!
「袖ヶ浦市の別荘地」に立って上を見上げると、まさに広大無辺の大空が地球を抱いてくれていると実感する。千葉県森林組合の幹部・御園豊さんが、大きなチェーンソーにエンジンをかけると、樹齢70年のクヌギの大木が倒れる。本来は、シイタケ生産者の下でのシイタケ栽培で、人々の食生活を豊かにしてくれるはずだったのが、それを311の東電福島原発爆発炎上で、悪魔の放射能が300キロ離れた首都圏の房総半島にまで飛来した。
改めて、原発推進に狂奔したA級戦犯の岸信介や読売新聞の正力松太郎、そして今は車いすの渡辺恒雄と彼の仲間の中曽根康弘のことも思い出される。「今だけカネだけ自分だけ」という悪魔に魅入られた輩の政治路線が、安倍晋三を経由して今日の岸田文雄に継承されてきた。その因果が地方の行政ややくざ暴力団、そして公明党創価学会にも継承されている。
形も見えない。色も臭いもしない。人間も小鳥も樹木も気づかない放射能・核エネルギーの先は、核兵器による人殺しが悪魔の目的である。
陣場台の核汚染ごみ埋設現場を、放射能測定器で射止めた張本人・御園豊の複雑な心情を、まだ誰一人知ろうとはしていない!陣場台の道は険しくも遠い。しかし、御園家の暖炉で体を温めると勇気が出るから不思議。共に核汚染ごみを追放しないと、万一の巨大地震が想定されるだけに、64トンの劣化ウランだけでなく、盛り土埋設の汚染ごみ散乱で首都圏は崩壊の危機を!核汚染ごみの排除は、君津市の東洋一の産廃場とともに喫緊の課題である。
2024年3月4日記(平和軍縮派ジャーナリスト)