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恕の心  ~投稿~  [その他]

 昨日、袖ケ浦市が誇る生涯教育への取り組みの一つである「三学大学講座」があった。三学とは「少にして学べば、即ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず。」からとったものだという。袖ケ浦市にもなかなかの方がいらっしゃる。

 今回の講師は、歴史作家の童門冬二氏である。今年88歳を迎えられているという。矍鑠とした体格から、洒脱にして軽妙な語り口・・・数ある著書の中の「上杉鷹山」を中心に「恕の心」について語ってくださった。

 1961年、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディは、日本人記者団からこんな質問を受けた。「あなたが、日本で最も尊敬する政治家はだれですか」ケネディはこう答えた。「上杉鷹山(ようざん)です」
その場にいた記者連中で上杉鷹山の名前を知っていたものは、どうやらいなかったらしい。なぜケネディ大統領が上杉鷹山の名をあげたのか・・

 財政破綻寸前の米沢藩を「恕の心」を基軸に改革を進め、豊かな財政確立に導いた鷹山である。「恕の心」とは相手を思いやる心である。鷹山は「武士のために民があるのではない。民のために武士があるのだ」ということを常時家臣たちの説いたという。ケネディが心打たれたのはこのことであったに違いない。

 「節約とケチることは違う。ケチは自分の欲のため、節約はそこから生まれた金を民のために使うこと。」を、自らに課した。

 「入るを量りて出るを制す」とは礼記にある言葉である。「適地適性」「付加価値」で収入を増やし、収入増はすべて民に帰した。引き際もよかった。鷹山は養子であった。米沢藩を豊かにし、37歳で隠居し本家の嫡男を城主に据えたとのことだ。

 この話をなぜ長々と紹介したのか。出口市長に聞いてほしかったからである。

「三学大学」学生の一市民

  



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