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「いじめ・不登校」克服への視点  3 [教育]

 学校における「いじめ」「不登校児童生徒」に対して、学校ではどのような指導をしているのか…という佐藤議員の質問に対し、袖ケ浦教育委員会の答弁は「定期的アンケート」による調査。「面談」。「組織的対応では迅速・継続・カウンセラー」との答弁があった。
いずれも、もっともな話でありそのことに異議を唱えるつもりはない。
 しかし、決定的視点が欠けているのではないか・・と、思われてならない。

 14~5年前であったろうか。本市恒例の行事である「市民三学大学講座」の講師に、稚内市南中学校長であった横山幸一先生をお呼びしたことがある。
 なぜ横山先生であったのか? 

 当時、南中学校は、いわゆる荒れた学校で、授業が成立していなかった。ひどい事例では生徒が校内をオートバイで走りまわったりしていたという。嘘のような話さえあった
稚内市長から、この状態を何とかしてほしいと頼まれたのが横山校長であった。

 着任直後、先生方全員に笛を持たせところから取り組みは出発する。生徒が授業中に教室から飛び出すと、笛が鳴る。とたんに空いている先生が廊下に飛び出し生徒を囲む。決して怒らず、やさしく納得するまで説得し教室に戻す。これを数週間続けたら、教室から飛び出す生徒はいなくなった。
 高知から「よさこい」の名手を呼び「ソーラン節」とセットした「よさこいソーラン」で、生徒たちを夢中にさせ、「南中ソーラン」として、地域に広まり、北海道では毎年札幌市で大会が開かれるまでになった。3年後、稚内市最大の講堂を会場に、全市民に向けての「南中総合文化祭」を開催する。そこには3年前の荒れた学校の面影は全く消え失せ、参加した市民は、生き生きと輝く子供たちの姿に瞠目した。

 横山先生をお呼びすることを決定した経緯については、私は知らない。ただ当時、わが袖ケ浦市でも、中学校に「崩れの兆候」が表れていたとの話を漏れ聞いていた。そのことに心を痛めていた教育委員会の職員の方がいらしていたことを知っている。

 話は飛ぶ・・かって教育現場で「生活指導」と呼ばれていた子どもたちの「心を耕す営み」は、いつからか「生徒指導」という言葉に変わった。このことで何が変わったのか。
「定期的アンケート」による調査。「面談」。「組織的対応では迅速・継続・カウンセラー」という教育方法の対象は、言葉でわかるように、すべて「生徒個人」である。

 先達の教育遺産の中に「学級づくり」「学校づくり」「子どもが主役」というような言葉があったことをご承知であろうか。この言葉が「学級経営」「学校経営」となり「子どもが主役」という言葉は消えてしまった。「経営」という「企業言葉」が、ずかずかと教育の世界に乗り込んできたのである。

 担任教師は、「子どもを主役にどのような学級を造ろうとしているのか‥」別な言葉で言えば、「子どもたち同志の磨き合いをどう育てようとしているのか」という「仲間同士のいじめを許さない学級づくり」という視点が消えている。
 学校長は、担任教師の「学級づくり」を保障し励ます「子どもが主役の教師集団」を創っていく視点がない。
 つまり、個人的対象法だけでは、未来に向けた解決法を見出すことはできないであろうという、私の個人的意見を申し述べておく。

 私の教職勤務最終校は北海道苫小牧市の中学校であった。横山校長とは教職員組合活動で知り合いになり、親しい友人であり尊敬する教師仲間であった。袖ケ浦にいらしたときは一晩、久しぶりに語り合った。時のすぎる事の早いこと・・・今は昔の話である。
                                kawakami

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