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「事件はまた繰り返す」その2 [その他]

▼ 海水は止められたのに

 1956年5月、新日本チッソ肥料(現チッソ)水俣工場附属病院が、水俣湾周辺で多発する原因不明の中枢神経疾患を保健所に届け出た。これが「公式確認」だ。
 
 熊本大学医学部は研究班を組織して、半年後にはすでに〈奇病〉の正体が、鮮魚の摂取による中毒症状だと結論付けた。そして、水俣工場の排水が汚染源ではないかと疑った。
 おりしも、日本列島は、高度経済成長への助走にわいていた。学会の主流は企業の擁護に回る。化学工業は高度成長の柱の一つ。チッソはその担い手だった。

 公式確認から12年間、水俣工場がアセトアルデヒドの製造をやめるまで、大量の有機水銀が不知火海に流れ続けた。
 生命より経済を優先し、止められるもの、止めなければならないものなのに、だれも止めなかったのだ。だから、それはただの「病」とはいいがたい。人間の欲と不作為が引き起こし、拡大させた「事件」と呼ぶしかない。

 時がたち、全国から新たな患者が次々名乗り出る中で、政府は幕引きに血道を上げる。
95年の政治決着。2009年の特措法とともに、賠償の費用がかさむ。「患者」とは認定せずに、「被害者」として一時金を支払うことで、「救済」しようと試みた。まぎれもない弥縫策である。

 水俣病の病象、つまりその正体を明らかにしないまま、厳しい認定基準だけを課し、地域が望む健康調査も実施せず、被害を小さく見せるのに躍起である。潜在患者は数十万人と言われている。

 水俣で起こったことが事件なら、患者はいない。被害者がいるだけだ。不知火海一帯の広域健康調査に基づいて隠れた被害を掘り起こし、あらゆる被害者が、等しく救済されるべきなのだ。それが、それだけが最終解決なのである。
「事件はまた繰り返す」藤原さんの指摘が不気味に心に迫る。「福島原発事件」が二重写しになるからだ。

 原発事故で故郷を追われた人々は、「被災者」ではなく「被害者」だ。なのにいまだ、命より経済優先、原発は止められない。放射能の影響や健康被害の実態をつまびらかにしないまま、補償の負担を軽減するためか、規制を緩め避難者の帰還を急ぐ。

▼ 加害企業は生き延びる
 福島の事故から二十日後チッソは分社化された。液晶事業など営利部門を子会社に譲渡して、責任と生産を切り分けた。親会社であるチッソの方が〈補償を終えて〉清算される不安は残る。責任を置き去りに、企業だけが姿を変えて生き延びるのか。
 先月東京電力も、生き残るために分社化された。「チッソ方式」とも呼ばれている。
 
 ふるさとを喪失させた国と東電の責任も、結局は明らかにされないままに、風化が進んでいくのだろうか。福島の行く末が見えてくる。水俣事件に時効はない。
 

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