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東京ガスを見学して [地球温暖化]

暮らしと環境を考える講座3回目のLNG基地見学に参加して
                                 政策研:富樫
1,2回目の講座は座学で9:30~11:30ですが今回は市役所から東京湾側のLNG基地までの時間を考慮して9:15分集合で集まり次第出発であったが1名がまだ来ないということで35分出発となった。
 LNG基地到着、正門の第1警備所通過するとすぐに展示・説明の専用建物に到着し、歓迎挨拶のあとビデオを見ました。パンフレットと合わせ大変よくできている内容を理解できました。

東京ガスは日本にLNGを導入した最初の会社で1969年根岸に導入、南横浜火力とセットのプランであった。その後大阪ガスそして1973年に袖ヶ浦の順で完成当時の大気汚染時代の東京湾の石炭・原油・重油からの脱却に貢献したことは事実で低炭素化も事実ですがそれ以上に発電量が急激に増加、今日千葉県は日本でもっとも多くのCO2を排出する県となっており、脱炭素とかカーボンニュートラルという言葉とは裏腹にCO2大気濃度の上昇が止まらず410ppmを超え、数年以内にパリ協定の1.5℃の約束は達成不可能に達しで熱波地獄が視界に入っているのが実情。 全産業、全企業、全国民がすべてを見直ししないとこの気候危機を乗り越えられない。この立場でなお一層東京ガスさんも全産業を代表して低炭素から脱炭素へとあっと驚く技術を開発、施策実行して欲しいものです。

さて、ビデオ視聴のあと極低温マイナス160℃のLNGが入ったボトルにソフトボールを入れて冷やし地面に落とすとガラスのように割れる様子、メタンは空気の重さの6割だからLNGが漏れてガスは空に昇るので安心という説明があったがこれは物理法則の観点と環境(海面・地面温度、気温・風。漏れ量)の観点で正しいか疑問が残るが、ほかの見学者の手前質問をひかえた。

つぎに東京ガス専用バスで工場内の見学を行った。
気になったのは桟橋に停泊する300m長さの巨大なLNGタンカーと桟橋側アンローダーを接続して15時間かかってLNGをタンクに輸送する工程です。
最近、能登で大地震があった。地震はほとんどが海溝型の地震であるので太平洋地下が震源であり、陸地までの距離があって地震検知から本震・津波到着まで時間があり、津波到着時刻もテレビ放送する余裕があった。
しかし、2024年元日能登地震や秋田県を襲った1983年日本海中部地震、1993年北海道南西沖地震のように地震発生、発生後まもなく揺れと津波到着、そして2004年新潟県中越地震のようにかってない加速度 [1700gal]という記録的なものであり、トランスが火災となった。 LNG基地や原発建設当時からの見れば
   晴天の霹靂
したがって私たちは建設当時1970年代の常識でできた今の設備安全性を見直し、災害に備えることが肝要です。
 この観点で説明者の話を聞きながら思ったのは 
①海面に浮かぶ船と桟橋は海面の上がり下がりにおなじように合わせて上がりさがりするのだろうか?
どれだけ柔軟性・強靭性のあるアンローダーだろうか?
能登地震の経験から地震の際は船側、あるいは基地側でアンローダーの接続を切るのだろうか?
②桟橋に船は津波で激突しないように離岸(桟橋)を短時間で行えるようになっているのだろうか? ③アンローディング(LNG移送)電力はどちらからなのか?
聞いてみました。
 指令でボール弁で双方が切り離され洩れない、それは分かるがいまいち分からないがほかの方もいるので、、、

1973年に袖ヶ浦LNG基地完成したということはその計画と設計は 1995年の阪神淡路大震災後であるのでその経験を組み込んだ基準で建設されたと想像しますが1983年日本海中部地震、1993年北海道南西沖地震の経験を組み込んだ技術基準ではない可能性を感じます。

LNG基地は東京ガスの経営を揺るがす主要事業所ですので技術陣の需要設備の安全基準をぜひ見直し、1つ1つあるべき基準と策定し、不適合は修正を期待します。

東電は市民や社内技術者の心配を無視したことで大失敗したのですから、、、、
他山の石を踏まえ袖ケ浦市民は東京ガスが日本のリーダーになることを期待しています。

以上

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