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「躓きの石」 [平和]

 南米パラグアイ・イグアス移住地に、移住60周年記念誌編集のお手伝いに行っている友人熊田和子さんのFacebookに、興味深い記事が掲載されていました。今日はちょっと変わった内容に触れてみましょう。

熊田さんが紹介しているのは「ギュンター りつこ」さんという声楽家で、ドイツ在住の方が書いた「躓きの石」という記事です。心がジーンと熱くなります。読んでください。

「躓きの石」

 ドイツの街を歩いていて、路上でこういった10センチ四方のゴールドプレートを見つけたら、ぜひ立ち止まってみてください。
 そこには例えば「ここに住んでいたのは エリーゼ・ウルマン 1920年生まれ 1943年アウシュヴィッツで殺害」というように、ナチス時代の犠牲者の悲しい運命が記されています。
その数は7万5000個、犠牲者のほとんどがユダヤ人ですが、他にも共産主義者、身体障碍者、抵抗運動グループのメンバー、聖職者、ロマなど様々です。

 この小さな記念碑は『躓きの石』と呼ばれ、犠牲者が最後に住んでいた家の前に、「ここに住んでいた証」を埋め込んでいくというプロジェクトで、1992年にグンター・デムニッヒというドイツ人のアーティストが始めました。
 これはデムニッヒ氏の「強制収容所で名前を奪われ、その代わりに番号だけを与えられた犠牲者に名前を返したい」との思いから始まりました。

 道行く人がそのプレートを見つけ、読もうとして身をかがめますが、その「頭を下げる行為」もまた、プロジェクトの目的に含まれています。なぜなら当時のドイツ人のほとんどは、犠牲者が強制的に連れ去られていくことに抗議しなかったからです。
『躓きの石』とはいえ、実際に躓くわけではありません。デムニッヒ氏は「心と頭で躓く」という観念的なものだと言っています。

 犠牲者をただの統計的な数に終わらせず、「ここに」生きていた、「ここで」生活していたという記録を残さなくてはならないとの思いから、地元の学校と高校生が中心になって、当時の古い住所録、エルサレムのデータベースなどから犠牲者の記録を探し出す調査を行っています。

 このプロジェクトはドイツ国内だけではなく、今ではヨーロッパ25ヵ国にも拡大していますから、大変な資金が必要です。真ちゅう製キューブは施工費を含めて一個120ユーロ、一般市民と企業の寄付金で賄われています。
 年に二回、アウシュヴィッツ解放記念日の1月27日と水晶の夜の11月9日(ユダヤ人迫害が始まった日)にはすべての石は磨かれ、蝋燭の火が灯され、花が手向けられます。
こちらのサイトでは、ベルリンの躓きの石マップが見られます。すごい数ですが、クリックすると、犠牲者の記録を読むことができます。ええっ!うちの近所にもあったの?と私もこのサイトで初めて教えてもらいました。
https://www.stolpersteine-berlin.de/en/finding-stolpersteine

▲ 追記:躓きの石が見られる国は以下の通りです。
ドイツ、オーストリア、オランダ、ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ベルギー、ウクライナ、イタリア、ノルウェー、スロヴァニア、フランス、クロアチア、ルクセンブルグ、ロシア、スイス、ルーマニア、ギリシャ、スペイン、リトアニア、ラトビア、フィンランド、モルドバ、スェーデン、デンマーク。
(写真は公式サイトからお借りしました。)

躓きの石 (熊田さん).PNG




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