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「小櫃川を守る会」機関誌 7 [小櫃川の水を守る会]

小櫃川の流れに思いを寄せて   
                            甲斐佳織 
 
 かれこれ半世紀前に、父の仕事の関係で君津に移り住み、目の前に広がる田んぼを見ながら育ちました。私の育ったまちは、自然が豊かでとても住みやすいところだ♬と自慢に思っていました。

 …まさか、君津の奥に広がる豊かな森を壊して、最終処分場ができ、事故を起こし、更に増設予定とは…勉強会に参加して、この事実を知りとても悲しく、やりきれない気持ちでいっぱいです。

 なぜ、君津なのだろう?なぜ水源地を選んだのだろう?…他の地域だったら平気だったのかな?と自らに問えば…恥ずかしながら、君津でなかったら、これほど関心を寄せることもなかったと思います。

 高度経済成長の恩恵を受けて育った私の身の回りは、土に還らないもので溢れています。かつて東京湾のごみ処分場が、今では夢の島公園として整備され、緑の島に生まれ変わっているそうです…。時が経ち、いつか君津の最終処分場が緑に覆われたとしても…その場所が産廃で出来た山であったことを私は、忘れないでしょう。
 いろいろな団体、個人の方々が、ふるさと君津の母なる大地を流れ、生命を潤す川 『小櫃川』を守るために長年活動されてきたことを知り、その活動内容に身の引き締まる思いがしました。
 決して楽ではない。むしろシンドイことの多かったであろう道を歩み続けてこられたその原動力は何だったのだろう?

 「…兵士と戦士がいるよ。兵士は命令のままに動く人。戦士は、自らの意思で動く人。愛の人だと。愛のために立ち上がる人だと…。」カナダのインディアンと交流を持つ友人の語る『虹の戦士』の物語はそこから始まります。

 小櫃川を守る活動をされてきた先輩方の姿が私の中で物語と重なり胸が熱くなりました。
 今、豊かさや便利さを求め、突き進んできた日本・私の周りには、どうしたら良いかわからない問題でいっぱいです。小櫃川を飲み水として、田んぼや畑を潤す水として利用し恩恵を受けているが、川はそのために存在するのだろうか?長年大切に受け継がれている山や田畑は、生活の糧を得るためだけに守られてきたのだろうか…。

 私たちの祖先は、自然の中に神の存在を感じ取り畏敬の念を抱き大切にしてきました。利用するだけの視点ではなく、自然の存在があればこそ命を繋いでこれたことに思いを寄せ、少し便利さを横に置く努力をしてゆかねばと改めて感じています。

 あるインディアンの墓碑に刻まれた祈りの言葉を紹介させていただきます。
おお父よ、わたしはあなたの声を風のなかに聞き、
あなたの息はこの世界中のすべてのものに生命を与えています。
お聞きください。
わたしはあなたの前に、あなたのたくさんいる子供たちのひとりとして、
今、立っています。
わたしは小さくて弱く、
あなたの力と智恵とを必要としています。

どうかわたしを、美のなかに歩ませ、なにとぞこの眼に、赤と紫の夕陽をお見せください。
この両手が、あなたの創られたものを、尊敬させるようにしてください。
この耳を、あなたの声が聞こえるように、鋭くしてください。
そうすればきっと、あなたがわたしの一族に与えられた教えを、
一枚一枚の木の葉や、ひとつひとつの岩のなかにあなたが隠された教訓を、
このわたしも、理解するかもしれません。
父よ、わたしは力を求めています。
偉大なる敵と戦うことができるようになるための力ではなく、
その力で、汚れのない手と、濁りのない眼をもって、
わたし自身があなたのもとを訪れる準備をさせてください。
もしそれがかなうのなら、
日没の太陽が姿を消すように、わたしの生命が終わりを迎えたとき、
いささかも恥いることなく、
わたしのスピリットはあなたのもとを訪れることができることでしょう。

 アクエサスネ・モホーク・ネーションのセント・レジス・リザベーションのなかに立つ「トム・ホワイトクラウド」という名前のひとりのネイティブの墓に刻まれている祈りの言葉(本書より引用)

小櫃川.PNG


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