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新井総合行政裁判。意見陳述 その2 [産廃処理場]

 「原告の意見」を続けます。その2  kawakami


古くから日本では人々が生活する水を確保する方法として、豊富な地下水を利用するいろいろな種類の井戸が創り出されました。単に穴を掘るだけの「掘り井戸」から江戸時代には鉄棒等による「突き掘り」が主流となっていました。

  明治期に確立された画期的工法が私達の君津市で誕生した『上総掘り』で、地中の圧力を受けた被圧滞水層まで貫通することにより自噴水を得る独特な技法です。僅か3〜4人の人力と身近な孟宗竹を組み合わせた『上総掘り』の初期技術は君津市の小糸川流域や小櫃川流域で文政年間(1818~1830年)に開発され、職人たちの度重なる改良の結果、明治20年(1887年)頃に漸く600m程の大深度被圧帯水層まで貫通する掘削の技術が完成したと言われています。

『上総掘り』の技術は多くの先人たちが実践しながら試行錯誤し長い年月の中で技術革新と伝承の繰り返しによって普及していった先人の辛苦と知恵の結晶なのです。
この井戸掘りの労力軽減が君津地域の自噴井戸の急速な広まりを助け耕作地の拡大に飛躍的な効果を発揮しました。その後の『上総掘り』は日本各地に広がり生活用水、灌漑用水の深井戸の掘削技術の主流となり天然ガスや石油、別府温泉の掘削などにも利用され近代産業に重要な役割を果たしました。また今も水不足に悩む東南アジアやアフリカの地域でその技術が生かされています。『上総掘り』の技術は平成18年に重要無形民俗文化財に指定されました。

  今もなお地域に点在する『上総掘り』は私達の生活の中に深く息づいています。豊富で良質な井戸水の恩恵は大きく飲用・生活用水はもとより良質な地下水による四つの酒蔵の清酒造り・豆腐・おいしい米の水稲栽培等に広く利用され、特に自噴井戸水のかけ流しで栽培される花のカラーは生産量全国一を誇ります。

 私達のふるさとは水の利用に苦労した先人達の辛苦の末に漸く『上総掘り』による豊富な地下水の利用、また蛇行していた河川を人工的にショートカットし水が流れていた蛇行部分を水田にする川廻し、さらに小櫃川上流の耕作地と同じ標高地点からトンネルを使って水を引き川の水を農業用水として利用する『二五穴用水』等により、初めて小櫃川・御腹川の河川水利用が可能となり広大な田園や水をよりどころとする産業を私達に伝えてくれました。

 渇いた土地は豊かな実りをもたらす大地へと生まれ変わりました。「水」は生命の源泉です。私達の地域はこの天恵の水によって繁栄してきました。

 その私達の誇る大切な清らかな水の水源の地に、首都圏最大規模と謳う新井総合施設株式会社(以下、「新井総合施設」といいます。)の産業廃棄物処分場が存在します。さらに事業者は処分場を倍増する第Ⅲ期処分場増設を計っています。増設されれば日本有数の産業廃棄物処分場となります。

 しかし、この処分場は平成24年1月に第Ⅰ期処分場で漏洩事故を起こし、現在も搬入停止状態が続いています。この処分場の構造は「準好気性埋立構造」で発生したガスを大気中に放出拡散し、雨水浸透により廃棄物を浄化したうえで浸出水を処理し御腹川に放流するものです。

 ところが、現状の第Ⅰ期処分場は上部に遮水シートでキャッピングをし、雨水の浸透を防いだうえで、数年間内部保有水のポンプアップを続けているにもかかわらず、いまだに内部保有水の水位の下降がみられないという処分場としては完全に根本的機能を喪失した状態が続いたままとなっています。(続く・次回終了)


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