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原子力より劣る存在 [原発災害]

 2011年3月11日・・・言わずもがな、福島原発事故当日である。この事故から7年の年月が経っている。この夏の猛暑続きでも、節電の呼びかけもなく、原発も動かず、電力は足りている。九州など、川内原発、玄海原発を強引に再稼働させたのはいいけれど、九州全体の電力は余って、発電量制限をかけているという始末だ。それでもまだ原発を再稼働させるという。
 数日前のメールだけど、いつもびっくりするようなニュースを紹介してくれる「早耳のYさん」が、この原発に関するニュースを届けてくれたので紹介する。「お天道様はお見通し」さんの文である。          kawakami 


★ 使用済核燃料の保管量  

泊原発     380t 
東通原発    100t 
女川原発     420t 
福島第二原発 1120t 
柏崎刈羽 2300t 
東海第二 370t 
滋賀原発 150t 
浜岡原発 1140t 
敦賀原発 580t 
美浜原発 390t 
大飯原発 1400t

上の呟きを見てよーく認識して欲しいのが、これと引き換えに得た電気エネルギーは既になく、放射能と熱を出し続けるゴミの面倒は万年単位で管理しないといけないという事。 
このように原発ほど、一瞬の今を満足させるために長い未来を台無しにしている破壊的創造物は他にないのではないか。
 敵味方の区別なく野放図にあらゆる生命を死に追いやる原爆も、抑止力云々なんぞは言うに及ばず、武器としての蓋然性を最初から失っており、そこに存在意義はない。


また、地球は、高度五千から二万キロにあるヴァン・アレン帯が宇宙放射線の侵入の大部分を防いでくれているある種の閉じた空間であり、そのおかげで殆どの生物は生きながらえてこられた。


その上、チェルノブイリやスリーマイル、フクイチ等、たった数機の原発事故が深刻な環境汚染と地球上の全生命の危機をもたらしている。 


よって、原子力を”技術”などと形容するのもおかしいし、生命環境下において、その存在すら許されるような代物でないのも明白である。 


こんな、小学生にでも理解できるようなロジックを無視して未だそれを使っている人間こそ、現在快楽追求・未来破壊者の頂点に君臨する、思考の欠片もない、オツムの足りない全ての崩壊であり、原生動物や単細胞生物以下の最下層生物に違いない。





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