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自治基本条例3話紹介~その1~ [自治基本条例]

 自治基本条例というと、皆さんはすぐ北海道ニセコ町を思い出します。日本最初の自治基本条例策定のまちだからです。ニセコ町は、以前狩太町という名前でした。1964年に町名を、日本のスキーのメッカであるニセコアンヌプリの山の名前をそのままに、ニセコという町名に変えたものです。また、有名な有島武郎の大農場があった町で、「カインの末裔」や「生まれ出ずる悩み」などの名作が生まれたまちでもあります。
 
 さて、このまちの役場に逢坂誠二という若者がいました。彼は役場の職員として、地方自治のあり方に興味を持ち、札幌の地方自治研究所に通って学びつつ、ニセコの町の将来像を考え続けていました。その熱心な姿勢に共鳴した仲間たちが集まり、彼を町長に押し立てます。みごと当選し以降6年間ニセコ町町長として、職員時代からの夢の実現に向けて取り組みました。その鍵は町民への情報公開を徹底し、町民と一体化したまちづくりの実践でした。このことが波紋のように大きな反響となって広がっていきます。一方国政への参加を勧める人たちも出てきました。その過程で「あなたが町長のうちはいい。しかし、あなたが去ったあとはどうなるのだ。そのためにも、あなたがいなくなっても、あなたのやっていることがルールとなって続くような条例が必要だ」ということから、2年間の討議過程を経て、生まれてきたのが、「ニセコ町まちづくり基本条例」です。

 袖ケ浦市でも、現在自治基本条例づくりに取り組んでいます。その嚆矢となったニセコ町は、町長としての任期6年間の実践、この間討議2年間の実績があって生まれてきた基本条例でした。それほど時間がかかっていても、議会採決では10対5での通過で、反対者が5人もいたのです。「自治基本条例づくり」は、最初という事があったにしてもこれほど大変なことであるのだということを、しっかりと認識すべきであると思います。ましてや、単に机上で作られる質のものではないことを、作成に当たっている人たちにはには銘記して欲しいと願っています。

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一寸法師

ニセコ町での話し感銘しました。
袖ケ浦市で今条例つくりをやっているようだけど
何をやっているのかさっぱり分かりません。
by 一寸法師 (2011-04-30 18:15) 

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