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新井総合裁判  [産廃処理場]

 新井総合の第1期処分場の汚染水漏洩に対して廃棄物の撤去を求める千葉地裁の民事裁判での金森代表の意見陳述です。

◆ 意見陳述
令和5年7月31日  ふるさとの水を守る会共同代表  金森春光

 水の張られた田に、朝な夕なに日々の自然が映り込む。渇いた大地に水が満ちて、大地にひめられた生きる力が沸々と湧きいでる。私達はこの美しいふるさとの今を生きている。このふるさとを、誇り高きふるさとを守り伝えたい。ただそれだけを想う。海水があたためられ雲になり、雨になり、川になり、海に注ぐ。蒸発→降水→浸透→表流→海水と水は絶えず循環して浄化され、その清らかな水が新たな命を育む。大地はこの水循環によって潤い輝いています。

 元来私達のふるさとは、利根川に次ぐ延長88キロメートル県下第二の長流で、房総丘陵に水源を発し、君津市袖ケ浦市を貫流して木更津市で東京湾に注ぐ「小櫃川」とその支流「御腹川」を有しながら、河川と耕地の高低差が大きい「河岸段丘」により河川水の利水に非常に苦労した地域で、昔日のこの地は慢性的な水不足から「嫁にやるな、婿に来るな」と言われるほど困窮を極めた地域でした。先人にとって日々の水の確保が切実な願いだったのです。

 この地に生きた先人達が幾世代にも亘る苦闘を続け、明治初期頃までに『上総掘り』や『二五穴用水』の技術を開発して、初めて地下水・河川水を利水することができるようになった。房総丘陵の山林に降った雨が地層に浸透し天然のろ過を受けて浄化され、他の地域では類を見ない程の被圧帯水層に流れる豊富で良質な地下水を、地表へともたらしたものが『上総掘り』なのです。これらの技術の導入により、畑地が開田され耕作地が飛躍的に拡大し、渇いた土地は豊かな実りをもたらす大地へと生まれ変わり、先人の“想いと“水”が満ち満ちて繁栄してきました。

 現在でも君津市には1342本の上総掘りによる自噴井戸が存在します。なかでも小櫃川・御腹川水系の上総地区・久留里・小櫃では722本の自噴井戸から、春夏秋冬24時間豊富で良質な地下水がこんこんと湧きいで、その清らかな水の流れは小櫃川へと注ぎこみます。
 久留里の井戸水は、平成20年に環境省により千葉県下で唯一「生きた水・久留里」として『平成の名水百選』に選ばれています。遠方から足を運び、道のほとりで水を汲む人の姿が多く見られます。
豊富で良質な井戸水の恩恵は大きく、飲用・生活用水はもとより、地下水による四つの酒蔵の清酒造り・豆腐・おいしい米の水稲栽培等に広く利用され、自噴井戸水のかけ流しで栽培される花のカラーは生産量全国一を誇ります。

 ところが蛇口をひねれば水の出る日々を生きる私達には、いつしかその風景は“当たり前”となり、水の恵みに潤い、時に水の脅威に晒される水循環の中に生きることの本質を忘れ、つけあがって生きてきた。自らに都合のよい眼前の現象しか見ようとしてこなかった。その果てに今、清らかな水の水源に最大の危機が迫っている。欲望に満ちた暮らしがその危機を生み出している。いのちの水をこの瞬間に汚しているのは人であり、他の誰でもない私達である。

 幾世代にもわたり水を求め苦闘を続けたふるさとの先人達は、今を生きる私達に何を想うだろう。
そんな私達がこれからを生きる子供達に果たして何を伝えられるのだろう。
「これからを生きる子供たちに、誇り高き清らかな水、ふるさとの命の水を守り伝えたい。」
いまこそ、その想いが大きく結集されなければ、ふるさとの水を失うこととなる。
ふるさとの“今”を生きる私達が、その大切な責任を果たせるか否かの最後の分岐点に来たのだろう。

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