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「小櫃川の水を守る会」機関誌・最終稿 8 [小櫃川の水を守る会]

 登坂幸子さん ありがとう   
     富津市議会議員 松原和江

 2019年5月2日、富津市の水を守る運動の先頭に立っていた登坂幸子さんが旅立たれました。入院されていることは知っていましたが余りにも早い旅立ちです。

 横浜から富津の湊川の河口に転居した私が登坂さんと知り合ったのは、18年前です。京浜工業地帯の雑踏と比べて富津はなんと美しいのだろうと、海、川、山、風、雨、虫、鳥すべての自然に感動していました。

 ところが、湊川の上流の田倉という谷合の地域に産業廃棄物を埋め立てる計画があることを知りました。何のために私は自然が美しい富津に転居してきたのだろうか。許せない!どうしたらいいのだろうか。田倉の産業廃棄物処分場建設を反対している地元の方たちが「天羽の水を守る会」に結集して頑張っていることを知り、少しでもお役に立てたらばと思い運動に参加させていただきました。そこで登坂幸子さんと出会いました。古い土地で因習が強く、血縁のあるこの地で、「お寺さん」と皆さんから尊敬されている登坂さん。

 産廃処分場建設差止め裁判は、地裁、高裁、最高裁と闘いが続き勝利しましたが、イノシシや猿と闘いながら一袋100円、200円の野菜を作り、ゴルフ場のお客に売って運動資金をつくり、また、地域の年金者組合との交流会で賛助会員を増やすなど、いつも運動の先頭にたたれていました。

 私が運転する車に登坂さんを乗せて、雨の日に「天羽の水を守る会」のニュースを会員の家に配っての帰り道、農道の路肩に草が茂り水路との境がわからず、車が水路に落ちてしまいました。JAFを呼んでも大型車は通れず、ロープで引き上げてもらいました。登坂さんごめんなさい、怖い思いをさせてしまって。15年も前の話です。

 こんな時、市議選があり、名前も知られていないよそ者の私を登坂さんは励ましてくださり、「富津の環境を守る」を訴えて議会に送っていただきました。
 田倉産廃場の解決の後には、大塚山の大平興産管理型産廃場の漏洩問題や東京電力福島原発事故で放射能に汚染された廃棄物が大平興産に持ち込まれた時も、『命の水を守れ』と「大塚山処分場の漏洩問題の解決を求める市民の会」の会長という責務を担い、県や市の交渉の先頭で、凛とした姿はなんて綺麗な方だろうと尊敬していました。

 イノシシや猿を追いかけて100円、200円の野菜をつくらなくてもいいんです。
長い間、この地で水を守る運動の先頭にたたれた登坂さん。ゆっくり休んでください。またお会いしましょう。

松原さん①.PNG

松原さん2.PNG

(最終写真は容量の関係で掲載できないかもしれません?)



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