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紙おむつ代補助 [福祉計画]

紙おむつ代補助

                    2024/08/23   関  巖

 袖ケ浦市では、「高齢者紙おむつ等支給事業」を行っており良い取り組みと思います。
これは、65歳以上の要介護者の方を介護している市内の家族の方対象に紙おむつを購入した費用を月額3,000円補助するものです。

 私の義母がこの春介護施設に入り、紙おむつは自宅で用意して下さい、と言われました。
春に市役所高齢者支援課に補助金の申請に行ったところ「施設に入所した人は対象から外されます。」と言われました。

 実施要項を見せて貰うと、
第1条(目的)この要項は在宅の要介護高齢者を介護している者又は要介護高齢者に対し、紙おむつ等を支給することにより、要介護高齢者を介護している者等の経済的負担の軽減を図り、もって要介護高齢者の福祉の向上を図ることを目的とする。

 この要項は、「在宅の要介護者に限り」支給するもので、施設に入った人は対象ではない、とのことでした。
 たしかにこの条文によれば施設に入っている場合は補助金が受けられないのですが、この条文そのものが不合理であると思いました。

 私はこの条文の目的は「要介護高齢者を介護している者等の経済的負担の軽減を図り」が目的であるはずで、施設に入っている者には経済的負担の軽減を行わないと言うことになりおかしいと思いました。
 施設に入ることにより月20数万円の費用がかかること、施設で紙おむつを支給されていなく自分で用意するように言われていること、等により施設に入った家庭が経済的に優遇されているとは言えないのでこの条文にある「在宅に限る」自体がおかしいのではないかと言いました。

 担当者は「対象を拡大すると財政負担が大きくなる」とのことでしたが「財政負担が大きくなることと施設入所者を外す不公平さは関係ない。施設入所者の家庭の方が経済的に豊かであると言う統計なり根拠がありますか。」と聞くと「そのようなものはない」とのことなので「ぜひ検討して欲しい」と要望しておきました。「秋口に検討する」との事でしたのでその結果を「秋に聞きに来ます」と伝え帰ってきました。
 このような家庭は私1人ではなく他にもいると思いますので「在宅に限る」と言う条件は外して欲しいです。


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再エネの出力抑制 [再生可能エネルギー]

再エネの出力抑制
2024/08/22    関  巖

 太陽光発電など再生エネルーによる発電を、大手電力会社が一方的に止める出力抑制が急増していて今年度の出力抑制量の見通しはおととしの4.2倍にものぼります。
 
 出力抑制は無制限、無補償で行われ、再エネ設備の設置者は発電収入が得られず、今年度見通し750億円の損失にもなります。
 事業が続けられず設備投資にかけたお金の返済ができず倒産するところが出てきています。
また新規に再エネに取り組む事業者も減ってきています。

 経産省は原子力発電の出力を抑制したことはなく、火力発電の出力抑制も不十分です。大規模な老朽化した火力発電や原発を温存するものです。

 昨年の世界の平均気温は産業革命前に比べ1.45度上昇しており、目標の1.5度直前にまで上昇しております。
 昨今の熱波と呼ばれる高温状態を見れば一刻も早く気候変動を抑えねばなりません。

 日本政府はG7の中で唯一石炭火力の廃止期限の明記に強く反対し、化石燃料を使い続けることに固執しています。
大手電力会社の言い分だけを聞く政府でなく、CO2を出さない再エネの急速な増加を後押しする政策を政府は推し進めるべきです。
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原発建設費用を国民から徴収?

原発建設費用を国民から徴収?
2024/08/21
投稿者 袖ケ浦市民が望む政策研究会 会長

経済産業省が原発の新増設を進めるため、建設費を電気料金に上乗せできるようにする制度の導入を検討していることが報じられています。
https://www.tokyo-np.co.jp/n/genpatsu

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原発の建設費は、今や1兆円を超え、安全対策費や維持費も膨張し、世界的にも最も高い電源となっています。
コストも高くリスクも高い原発は、通常では投資する企業はいないでしょう。このため、広く国民から資金を徴収する仕組みをつくることにより、原発への投資を後押ししたいという思惑が透けて見えます。
従来から、原発の立地対策や核のごみ関係などには巨額の税金が使われ続け、優遇されてきています。本来であれば事業者が負うべき福島第一原発事故の賠償金の一部も、託送料金に上乗せして、将来世代にわたって広く徴収されています。
これ以上、原発への優遇を進めてよいのか。
上の図のように政府と電力会社は建設後40年を超えた原発の再稼働を計画していることは御存知のとおり、原発は運転可能なものでも定期検査や修理で停止期間が長くその間に経費、警備費用(税金)廃棄物費用などもろもろ加算するととっくの昔にもっとも高い発電方法でした。
 これらの国民から見えない経費を計算しないため原発電気は安いとなって、実業界は原発電気を求め続けてきた。

私が30歳少し前のころ(4-50年前)に市原市で行った学習会講師の東大の教授に直に原発について聞いたことがありますが
1.原発の寿命は30年としてメーカーは製造・建設している。
2.圧力容器は中性子にさらされる(中性子アタック)ことで段々鉄がガラスのように変化し割れやすくなるので長期運転、負荷変動運転には向いていない
と話していました。 このことから40年経過+20年延長など自殺行為です。
実際に自分は火力発電所運転員の経験から洩れない、壊れない機器なんてありえないことを経験的に感じていましたのでいまの状況はとても危険と感じている。

皆様ご存じのようについに日本でも太陽光発電量は原発を超え、発電単価はもっとも安価と言われるところまできました。
しかし、政府は重工業に忖度し石炭など火力発電の増加、維持政策を堅持、建設費用の大半を税金で建設、運転停止しても20年間税金からお金が電力会社に支給される仕組みを作っていますがご存じでしょうか? そして今回、福島事故の溶け落ちた燃料デブリを1Kgも撤去できてない状況でも原発建設費用まで一般市民から巻き上げようとしています。
一方言葉では日本の環境では太陽光が再エネのなかでもっとも適しているといいつつ、増えないよう政策をも行っています。

早期にテレビや自動車のように製造から廃棄までの仕組みを整備、発送電の完全分離と送電網の整備、太陽光発電と蓄電池設置の義務付けを行い、火力と原発は縮小・停止ー>廃止をドイツのように明確化すべき
ドイツはすでに原発をすべて停止しましたし、石炭火力はロシアの戦争で停止は遅れていましが
停止に向け再エネ拡大に注力しています。

中国は最大のCO2排出国ですが国家を上げて再エネに投資し、ダンピングもあり、日本のパネル
製造事業はほぼ全滅、米は中国製品に重課税に踏み切っています。
日本の日立、東芝、、、などのパネル製造事業撤退の裏には中国のダンピングもありますが国民の気候危機と政策への無関心がその背景と思いますが皆様はどうおもうでしょうか?

安い電力で製造すれば安い製品ができて国際競争力が増す。日本は龍の中国に飲まれる無能政治家の羊国家に見える。

以上

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「死んでも靖国に行かない」その⑤ [戦争]

「死んでも靖国に行かない」その⑤

 私が学生の時に読んだ戦没者の遺稿集「きけ わだつみのこえ」に載っている上原さんの妹の話が毎日新聞に掲載されていたのでシリーズで転載いたします。
    2024/08/20 関  巖

未来ある若者たちが犠牲に 「特攻を美談にしないで」

 良司さんは出撃前夜、陸軍報道班員として知覧にいた高木俊朗の求めに応じ、原稿用紙7枚に「所感」を書き残した。
 「権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れることは明白な事実です」とし、さらに日本の同盟国だったドイツ、イタリアがすでに敗北している事実を引き、「権力主義国家は土台石の壊れた建築物の如(ごと)く次から次へと滅亡しつつあります」とした。「日本必敗」を予言しながら「心中満足で一杯です」と結び特攻に飛び立つこの遺書は、これからも読み継がれていくだろう。
 特攻で命を落とした兵士達は「英霊」とたたえられることがある。「若者たちが、家族や国のために命をささげた」などといった美談にされるむきもある。登志江さんは「そういうふうになってほしくないですね」と言う。他方、「新しい戦争」が現実味を増し、政府は備えを進めている。
 「戦争は平和な一家をめちゃめちゃにしてしまう。そう考えたら戦争なんてできるわけがない。兄たちはそれぞれにいろんなしたいことがたくさんあったのに、死んでしまいました。若い人がそういうことがないように、精いっぱい人生を楽しめる社会であってほしいと思います」
(完)

編集後記 毎日新聞【栗原俊雄記者】
 「一年中8月ジャーナリズム」
 マスメディアは「戦後○○年」という表現をよく使う。大日本帝国の戦闘は、79年前の夏に終わった。しかし、戦争による被害は終わらない。「戦後」何年たとうと、体験者たちが心身に負った傷は完全には癒えない。79年前に戦死した兄・上原良司さんを思う妹の登志江さんの言葉、「5月11日は今でもすごく嫌な日ですよ。特攻は本当にひどい。死刑みたいなものですものね……」が、「未完の戦争」の有りようを私たちに伝えている。
 戦時下、新聞は大日本帝国政府の戦争に協力した。敗戦後の新聞は「二度と戦争に協力しない、戦争のためにペンを握らない、カメラを手にしない、輪転機を回さない」という決意から始まったはずだ。
 私は、新聞ジャーナリズムの最大の役目は国家に二度と戦争をさせない事だと思っている。私が「戦争反対」と何百万回言ったところで、影響力は無いだろう。しかし、戦争になれば庶民に被害が長く深く広く及ぶことを具体的に伝えることが、「戦争なんてとんでもない」という意識の広がりにつながり、ひいては戦争抑止力になると信じている。
 メディアは毎年8月、集中的に戦争報道を行う。私はそれを一年中やっていることから、「常夏記者」を名乗っている。新聞の最大の役目を果たすために、「常夏ジャーナリズム」を続けたい。


以下関の話
 卓球のオリンピックメダリスト早田ひな選手は、帰国して何がしたいかの問いに「アンパンマンミュージアムに行きたいのと、鹿児島(知覧)の特攻平和会館に行って、自分が生きているのと卓球ができているのが当たり前じゃないことを感じたい」と話しました。

 私も数年前に知覧の特攻平和会館に行ってきました。
部屋の真ん中に特攻で使った零戦、そして周囲には遺書や遺影がずらりと並んでいました。
特攻戦死者1, 036名のうち、全員の半数近く439名が知覧基地から出撃しています。

 若い人がここを訪れ、いかに戦争が悲惨であるかを知って欲しいと思います。

【画像】知覧特攻平和会館の展示物 特攻隊員の遺影や服・戦闘機も
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「死んでも靖国に行かない」その④ [戦争]

「死んでも靖国に行かない」その④

 私が学生の時に読んだ戦没者の遺稿集「きけ わだつみのこえ」に載っている上原さんの妹の話が毎日新聞に掲載されていたのでシリーズで転載いたします。
    2024/08/19 関  巖


「兄たちの死はなんだったのか」

 45年夏に戦争は終わった。8月15日。日本政府が連合国による降伏勧告「ポツダム宣言」を受諾する。玉音放送を聞いた登志江さんは「兄たちが死んだのはなんだったんだ」と思った。
 この時点で、上原家では長男の良春さんが生きていた。留守家族は陸軍軍医としてビルマ方面に派遣されていた良春さんが帰還することを信じていた。だが、良春さんは敗戦後の45年9月24日に戦病死していた。上原家は兄弟3人をすべて戦争で亡くしてしまったのだ。
 長女の清子さん、登志江さんが健在とはいえ両親の悲しみも深かっただろう。それでも「両親は兄たちの話はしませんでした。泣いているところも見たことがありません。一人で泣いていたのか……。家族で『生きていたら』、なんて話したことがありません。つらすぎて、みんなそれに触れたくなかったからでしょうか」。
 ただ戦後、母の与志江さんはしばしば靖国神社を訪れた。登志江さんは付き添いで行くことはあったが、自分から進んでは行かなかった。良司さんの「靖国には行かない」という言葉が胸に刻まれていたからだ。登志江さんはしかし、母に良司さんのその言葉を伝えることができなかった。「だって、母は3人がそこにいると思っていたはずですから」
(つづく)

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「死んでも靖国に行かない」その③

「死んでも靖国に行かない」その③

 私が学生の時に読んだ戦没者の遺稿集「きけ わだつみのこえ」に載っている上原さんの妹の話が毎日新聞に掲載されていたのでシリーズで転載いたします。
    2024/08/18 関  巖

特攻直前、敗戦覚悟し「死んだら靖国ではなく天国へ」

 特攻出撃前の上原良司さん(左端)=1945年5月11日、鹿児島県・知覧基地で撮影(登志江さん提供)
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 45年4月。良司さんが最後の帰省をした。夕食の時、良司さんは急にぽつりと言った。「この戦争は負けるよ」。登志江さんは「驚きました。日本は絶対勝つと思っていました。最後は神風が吹くと。そう教育されていましたから。びっくりして、雨戸を開けて外をみました。憲兵に聞かれたら大変だと思って。誰かいないかとのぞいたのを記憶しています」憲兵は国民の反戦思想などを取り締まる役目だった。実際、聞かれたら何をされたか分からない。

 良司さんは、さらに2人だけの場でつぶやいた。「死んでも靖国神社には行かないからね。天国へ行くから」
 1869年、明治天皇によって「国家のために一命を捧げられたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるため」(靖国神社ホームページ)、招魂社が東京九段に創建され、1879年に靖国神社と社号が改められた。戦死者は「祖国に殉じた尊い神霊(みたま)」として靖国神社にまつられた。死を覚悟した兵士たちが「靖国で会おう」と約束することもあった。

 戦死者の多くは遺体も遺骨も遺族のもとには戻らなかった。遺族たちは、魂がまつられている靖国に参拝することで心の安らぎを求めた。しかし、良司さんはそこに行くことを拒んだのだ。

 帰省から家を出る時、見送る家族に向かって良司さんは叫んだ。「さようなら、」と3回。特攻隊のことは知りませんでしたが、母は『もう帰ってこないのでは……』と言った気がします。

 1945年5月11日。良司さんは鹿児島・知覧の特攻基地から、爆弾を積んだ戦闘機「飛燕」で沖縄方面に飛び立ち、戦死した。22歳。「5月11日は今でもすごく嫌な日ですよ。特攻は本当にひどい。死刑みたいなものですものね……。(特攻を始めた人が)どんな気持ちだったのか聞いてみたい」。登志江さんはそう話す。
(つづく)



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「死んでも靖国に行かない」その② [戦争]

「死んでも靖国に行かない」その②

 私が学生の時に読んだ戦没者の遺稿集「きけ わだつみのこえ」に載っている上原さんの妹の話が毎日新聞に掲載されていたのでシリーズで転載いたします。
    2024/08/17 関  巖

「人格的に問題」と上官をも批判する自由主義者

 戦争が始まった後、大学など高等教育に在籍する学徒は徴兵を猶予されていた。だが戦況が悪化する中、文系の学徒らが陸海軍に召集され同年12月、陸海軍に入った(学徒出陣)。
 良司さんは陸軍だった。地元長野県の松本第50連隊を経て翌年2月、特別操縦見習士官に合格した。その後、熊谷陸軍飛行学校相模教育隊(神奈川県)から館林航空隊(群馬県)と移り、飛行訓練を重ねた。登志江さんは「航空隊に入って、勇ましいな、すごいんだと誇りに思っていました」と振り返る。

 軍隊生活では個人の自由より国家、組織の秩序が優先だった。上官の部下に対する理不尽な指導や体罰、精神的いじめがまかり通ってもいた。良司さんが信条とした自由とはほど遠い環境だった。
 たとえば44年5月28日。部隊の航空用眼鏡が行方不明になった。軍隊では持ち物を失うことは大きなペナルティーを課されることがあった。このため、何らかの理由で失ってしまった者が「戦友」のそれを盗むことがあった。この眼鏡がどうだったかは不明だが、「犯人」探しが始まった。名乗り出る者はいなかった。翌29日、良司さんらは炎天下に10時間以上立たされることになった。同日の「修養反省録」に、良司さんは書いた。「恥辱ノ日」。

 「修養反省録」は、良司さんら生徒が訓練の内容や考えたことなどを書き、教官が返事を書くものだ。航空兵としての修練を重ねる一方で、良司さんは軍、上官への憤りもつのらせていたようだ。44年6月27日に記した反省録に「汝(なんじ)、宜(よろ)しく人格者たれ。教育隊に人格者少なきを遺憾とする。人格者なれば、言少くして、教育行はる」
 教官に「人格的に問題がある」と指摘しているようなものだ。上官の命令は絶対という軍隊にあっては極めて異例であった。教官は赤字で「貴様は上官を批判する気か。その前に貴様の為(な)すべきことをなせ。学生根性を去れ!」などと書いた。殴り書きのような書き方で、強い怒りが伝わってくる。
 「そんなことを書いたり言ったりしたらどうなるか分かっていた。それでも上原君は黙ってなかったですよ」。戦後、良司さんの戦友からそう聞かされた。並外れた勇気を持つ、筋金入りの自由主義者だった。
(つづく)


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「死んでも靖国に行かない」その① [戦争]

「死んでも靖国に行かない」その①

 私が学生の時に読んだ戦没者の遺稿集「きけ わだつみのこえ」に載っている上原さんの妹さんの話が毎日新聞に掲載されていたのでシリーズで転載いたします。
    2024/08/15 関  巖

毎日新聞【栗原俊雄記者】
「死んでも靖国に行かない」 特攻兵の兄が遺した言葉 妹に打ち明けた敗戦の覚悟 

学徒出陣し、「特攻」で戦死した上原良司さんの妹、登志江さん=千葉県松戸市の話です。

 第二次世界大戦下、今から80年前の1944年10月、日本軍は爆弾を搭載した航空機ごと搭乗員が敵艦などに体当たりする特別攻撃隊=特攻を始めた。45年8月の敗戦までの10カ月間でおよそ4000人が命を落とした。その特攻隊員の中で、最も知られている1人が上原良司さんだろう。

 戦没者の遺稿集「きけ わだつみのこえ」に「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋(さび)しいですが、心中満足で一杯です」などと記した遺書が掲載され、読み継がれてきた。だが、良司さんが家族に「死んでも靖国には行かない」と話していたことや、良司さんを含む3兄弟が戦死していたことはあまり知られていない。5人きょうだいの末っ子で次女の登志江さん(94)に、「上原家の戦争」を振り返ってもらった。

 3人の兄が戦死 「頭の中でぼかしながら生きてきた」
 「はっきり覚えているのが、嫌なんですよ。悲しいというか……。あまり考えないように、自分の頭の中ではずっとぼかしながら生きてきました」 昨年9月、千葉県内の自宅で登志江さんは記者にそう話しつつも、亡くなった3人の兄たちや残された家族のことを語り始めてくれた。

 良司さんは、長野県七貴村(現池田町)で、開業医だった父の上原寅太郎さんと母与志江さんの3男2女の三男として生まれた。
 長男の良春さん、次男の龍男さんは慶応大医学部に進み、良司さんは同大経済学部に進学した。良司さんは「航空機のグラビア写真を見せてくれて『これはすごいんだよ』などと話していました」。また「ハーモニカが好きで。ときおり『わーかき血に』って歌ってもいましたね」。慶応の応援歌「若き血」だ。母と野球の「早慶戦」を観戦し、母は「すごく良かった」と話していたという。志望大学に進んだ若者の喜びが伝わってくる。

 上原家の平穏な生活をよそに、日本は戦争を続けていた。37年に始まった日中戦争に続き、41年12月には米英などとの戦争も始めた。龍男さんは海軍軍医となった。43年10月22日。龍男さんが乗艦していた潜水艦「伊182」は南太平洋・ニューヘブリデス諸島方面で米軍に撃沈され、戦死した。 (つづく)
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「終戦」という言葉の欺瞞 [戦争]

「終戦」という言葉の欺瞞
2024/08/15            関  巖

 本日8月15日は「終戦」と呼ばれています。本当は「敗戦」です。
終戦というと勝敗は分からず引き分けとか、場合によっては勝って戦争が終わった時でも使えます。
 太平洋戦争において日本は連合軍に無条件降伏で完全に負けたので「敗戦」であることは間違いありません。
 「敗戦」というと日本が負けたあの戦争がいかにひどい戦争であったかと言うことがはっきりと分かるので為政者(戦前は天皇、政府、軍部、財閥など)は「敗戦」と言う言葉を使いたくなく、「終戦」という言葉を思いつき、マスコミもこぞって「終戦」と言う名を使っています。
 国民もそれに慣らされて「敗戦」と言わず「終戦」と言っていますが、これははっきりと「敗戦」と言うべきでしょう。そしてあの戦争がいか無謀で無残な戦争であったかを思い起こす日であって欲しいです。

戦争で敗退したことを「転戦」、全員戦死したことを「玉砕」など実態とことなる言葉で国民に真実を知らせないことが多くありました。

 私の父は私が生まれる前に戦死しました。死ぬ間際に「万歳、万歳」と言って死んでいったと言うことを私が大きくなったとき、側にいた人から聞きました。これは天皇陛下万歳という意味で、この戦争は「聖戦」と呼ばれて天皇のために忠義を尽くすように教育され、戦死したら英霊として靖国神社に祀られました。
 私は英霊などと呼んで欲しくはありません。聖戦の名の下に戦争を起こした為政者によって殺されたと思っています。
 私の昭和中学校の同級生110名の内父親が戦死した人は10名もいました。
もし今交通事故で親が亡くなる比率が中学生の1割に上れば社会的に大問題となることでしょう。

 為政者(戦後は政府と陰に隠れた財界)はこのように言葉を変えて実態を隠そうとすることが多いです。このことは現在でも沢山あります。
例えば本来日本では禁止されていた兵器の輸出のことを「防衛装備移転」などと言って国民をごまかそうとしています。

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sodeseisakuken@yahoo.co.jp

 
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埋設水道管 [水道事業]

埋設水道管
2024/08/14   田中勝洋

皆さん 毎日猛暑日・熱中症アラート発令と暑くてたまらん日が続
きますね。地球規模では地球沸騰が現実に思える昨今。日本列島規
模では、南海トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」が気になります。
「地震 雷 火事 親父おやじ」は昔の事、今は「地震 異常気象 核兵器 戦
争 原発 命の水汚染 食料難 火事 企業団体献金 あとは米兵の性暴
力 等々 暇もない----出来事」その中で私達“袖ケ浦市民が望む政
策研究会”は身近な“命の水”関連で かずさ水道広域連合企業団発
注[→]袖ケ浦市内の某水道企業水道管強靭化工事「50年経過した水
道埋設管」に注目しました。この工事で掘り上げた、50年前敷設
した内径 300mmの、内面モルタル仕上げ鋳鉄管の目視点検実施いた
しましたので、皆さんにお知らせします。
袖ケ浦市 蔵波台5丁目(平成道路上り車線歩道)の埋設水道管強靭
化工事が完了したようです。この工事は かずさ水道広域連合企業団
主幹工事で 袖ケ浦市内の請負企業が施工いたしました。この企業の
許可を得て掘り出した 埋設管仮置き場で目視検査いたしましたの
で報告いたします。下記写真参照ください。
御質問は政策研 事務局 田中勝洋まで(090-7775-3577)

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裁判傍聴記(15) =証人尋問⑪= [新井産廃場]

裁判傍聴記(15) =証人尋問⑪=

 5月17日に千葉県相手の行政訴訟裁判があり証人尋問がありました。
その傍聴記を6月16日の傍聴記(10)まで書いていましたがその後中断していましたので再開します。 
証人は千葉県環境生活部廃棄物指導課 杣澤(そまさわ)良介氏
                  2024/08/13      関 巌

(弁)平成28年12月以降、土嚢袋がないというと遮水シートの折り返し部分はどうやって  抑えているのですか。
(証)遮水シートの折り返し部分の上に遮水シートが更に被さっている状態なのでその上に  土嚢が置かれているという認識です。

(弁)土嚢があるんですか。
(証)折り返し遮水シートの上に天端からかぶせた遮水シートが更に上に被さっている状態  なのでその土嚢を調べても何の意味も無いわけです。

(弁)何で意味がないんですか。
(証)流出する可能性が法尻からなので、仮にその法尻から出た水がヘチマロンの上から出  たとしたら、天端から抑えている一番上のシートの下に出てくるはずです。

(弁)だけどそこに水がたまってしみこむことだってあるじゃないですか。
(証)可能性としてはあるかもしれませんけど、それを拾うためにやり続けるというのはち  ょっと違うのではという気がします。一番上の遮水シートの下に水があるかないかを  確認することだと思います。

(弁)土嚢はあるけど測定対象とは考えていないという意味ですか。
(証)測定しても意味がないと言う意味です。

(弁)測定対象とはと考えていないんですか。
(証)そう言う意味ではそれでも良いです。

(弁)土嚢はあるんですね。じゃあ。
(証)あるはずです。はい。

(弁)そうすると、乙A60号証などで法尻対策工ですと言って写真を出して貰ってますけどあ  れと今の法尻とは違うんですね。
(証)今の法尻、ちょっと分からないです。

(弁) 分からないって、違うってことじゃないですか。
(証) ・・・・・。

(弁)出された書類の法尻対策工法断面図というのを示しますけど、今の状況はこれとちが  んでしょ。
(証)そういうことですね。

(弁)じゃあ、違う証拠で論じられ無いでしょう。それ証拠として写真なり動画なりで出し  て貰えませんか。
(証)私が今ここで決められるものではないと思います。

(弁)だけど違う証拠では論じられないでしょ。だって法尻対策工はこうですって証拠を出  してきて、今はこれじゃあないとおっしゃってるわけだから、ちゃんと証拠を出して  貰わなきゃいけないでしょ。違いますか。
(裁判長)被告代理人と後でご相談して下さい。
(弁)はい、分かりました。

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裁判傍聴記(14) =証人尋問⑩= [新井産廃場]

裁判傍聴記(14) =証人尋問⑩=

 5月17日に千葉県相手の行政訴訟裁判があり証人尋問がありました。
その傍聴記を6月16日の傍聴記(10)まで書いていましたがその後中断していましたので再開します。 
証人は千葉県環境生活部廃棄物指導課 杣澤(そまさわ)良介氏
                  2024/08/12      関 巌

(弁)週1回の測定で足りたんでしょうか。
(証)十分だと思っています。

(弁)平成27年3月30日まで測定していたと言うことですけど、その後測定をしなかっ  た理由を証人は埋め立て地をシートで被膜した後、測定対象の土嚢袋がないため測定  していないと新井総合から聞いていますと述べていますよね。
(証)はい。

(弁)シートで被膜したのは平成28年12月でしょ。
(証)はい。

(弁)であれば27年3月30日で測定を止めないで28年12月まで測定すべきじゃないん  ですか。ナゼしなかったのですか。
(証)それは分かりません。

(弁)分からない?
(証)はい。

(弁)28年12月って本件変更変更許可申請がされた月でしょ。それまでされていない理  由を確認していないんですか。
(証)確認したかどうかを含めて私は分からないです。すみません。

(弁)27年3月まで測定しました、土嚢があったからですとおっしゃったけど、実際土嚢  は28年12月まであったわけですから、それまで土嚢EC計で測定することは可能  だし、するべきではなかったんですか。
(証)測定できたかもしれないですけど、その当時の事情は今私には分からないです。

(弁)塩化物イオンが310とか530出て地下水集水ピットに大量の水がたまり、観測井  戸の水位が200メートルを超え水位の低下は見られないという記録があった。これ  平成28年9月13日の報告書なんです。このときはまだ土嚢があったわけだからこ  の報告書を受けて土嚢EC計で測定させることは可能だったはずですけどさせなかっ  たんですね。
(証)という報告は受けていないです。

(弁)千葉県はさせてないですよね。
(証)させたという記録は私は確認できてないです。

(つづく)
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若者16人、気候変動対策求め提訴

若者16人、気候変動対策求め提訴 「環境も尊厳も守られる社会に」 (その2)

2024/08/09    

 深刻化する気候変動を食い止めようと、全国の15~29歳の若者16人が8月6日、大手電力会社など10社を相手取り、国際目標の達成を妨げるような温室効果ガス排出の差し止めを求めて、名古屋地裁に提訴しました。

このことは8月8日のブログに書きました。
石炭火力廃止の運動をしている「石炭火力を考える東京湾の会」が若者達の裁判を支援するために応援メッセージを出しました。東京湾の会と連携している東京湾沿いの4団体もこのメッセージに名前を連ねています。
 政策研も名前を連ね若者達の応援をしています。
関  巖

若者気候訴訟:東京湾の会からの応援メッセージ_01.jpg
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近い将来起こる3つの大災害 [天災・自然災害]

近い将来起こる3つの大災害
                        2024/08/09  

 昨日九州で大きな地震が起きました。それを受けて「南海トラフ巨大地震情報」が出されました。南海トラフ地震は九州から伊豆半島まで広い範囲に及びそのどこかで巨大地震が起こる可能性が高まった、と言うことです。

 ここ袖ケ浦でもこのほかに近い将来起こる3っつの大災害があるので記します。
 近い将来必ず起こる激甚災害について、京都大名誉教授地球科学者の鎌田浩毅さんの話されたことを紹介します。
関  巖

 今、日本列島が「大変動の時代」に突入し、東日本大震災や能登半島地震など地震活動が活発な時期に入ってきました。

①一つ目は首都直下型大地震で、分かっただけでも地下に19カ所の震源域があり、活断 層が動けば大地震につながりまさに「いつ起きてもおかしくない」状況にあります。1 923年の関東大震災では10万人の人が亡くなっています。あれから100年たって地下に は地震を起こすエネルギーがたっぷりと溜まっています。

②二つ目は東海(静岡沖)東南海(名古屋沖)南海(四国沖)の三つの場所で連動して起 こる巨大地震「南海トラフ巨大地震」です。これも2035年の前後5年間で必ず起きると 言われている激甚災害です。これが起これば最大震度7(最高の震度)の揺れが東は静 岡から西は宮崎まで襲い、最大34mの大津波が起こり、日本の半数以上の6800万人が 被災し死者も32万人を越え、産業の集中している太平洋ベルト地帯が壊滅的な被害を 受け被害総額は東日本大震災の10倍以上220兆円と日本の国家予算の2倍に達します。

③三つ目は富士山の噴火です。実は1709年マグニチュード9の巨大地震が南海トラフで起 こった49日後に過去最大規模と呼ばれる宝永噴火が起こり江戸まで甚大な被害が出て います。あれから300年経って富士山の下にはマグマがパンパン状態になっています。 直接の溶岩流や火砕流などは静岡、山梨、神奈川などですが、細かな火山灰は関東一円 にまで飛んできて電線がショートし大停電、コンピュータも細かな火山灰で通信が途絶 えたり通信は壊滅的になります。鉄道、道路、飛行機の交通がマヒします。水道も火山 灰のため水処理能力が追いつかなくなれば断水となります。その他のライフラインも壊 滅します。肺疾患も多数となりなります。
雪と違って灰は融けることなくその処分には大変な労力が必要です。

 この3っつは遠くない将来必ず起こる大災害です。
これに備えるには行政が行う「防災」事業と人々が行う「減災」です。
しかし、私も含め多くの人は何とか成るだろうと楽観のバイアスがかかっています。

 袖ケ浦市ではこの三つの大災害にどのように対処する計画があるのか知りたいものです。

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若者16人、気候変動対策求め提訴

若者16人、気候変動対策求め提訴 「環境も尊厳も守られる社会に」 (その1)

2024/08/08    

 深刻化する気候変動を食い止めようと、全国の15~29歳の若者16人が8月6日、大手電力会社など10社を相手取り、国際目標の達成を妨げるような温室効果ガス排出の差し止めを求めて、名古屋地裁に提訴しました。

 若者が裁判を起こすことは世界的には沢山見られますが、日本では初めてのケースです。
気候変動の被害を受けるのは若者達なので裁判所も電力会社もしっかりと受け止めて欲しいです。
            関   巖

名古屋地裁に入る原告の若者たち=2024年8月6日
スクリーンショット 2024-08-06 181037.png

一昨日の朝日新聞の記事を転載します。

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