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国民健康保険制度 3 [医療問題]

 袖ケ浦市では国民健康保険者数の約1割の方が、まともな医療を受けられない状況にあることがはっきりしました。何とか少しでも税額負担を減らしたいということで、一般会計から、国保会計に毎年1億8000万円程度の法定外支出をしています。それでもこれだけの方々が、正常な医療を受けられないでいるのです。この金額は27年以降同レベルの支出にとどまっています。

 これが都道府県で統一されるとどうなるのでしょう。4つの問題点が指摘されています・
① 統一保険料を導入することで保険税が大幅に値上げされる恐れがあります。
② 市町村は保険税の徴収率が下がらないよう過酷な聴衆が行われることが懸念されます。
③ 医療費が上がれば県への納付金も上がるため「高い保険料が嫌なら病院へ行くな」と医療抑制が強まる恐れがあります。
④ 保険税の統一化が行われ、各市町村の減免制度が改悪、後退させられる恐れがあります。

 このままでは、市町村国保は崩壊し、制度としての「国民皆保険」は有名無実のものとなりかねません。

 以上国民健康保険を巡る状況を報告します。なおこのことに関わる資料は、「生活と健康を守る新聞」を参考に書かせていただきました。 kawakami

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国民健康保険制度 2 [医療問題]

国民健康保険の金額が決まり、納付期限が決まっています。しかし袖ケ浦市には収入の少ない家庭が結構あります。昨年度の期限内に納入できなかった世帯数は、1097世帯(国保被保険者数9447世帯中)ありました。その人たちはどうしているのでしょう。

 納期限が切れると、市区町村から通知書・電話などにより納付の催促が来ます。それでも納付しないと「短期被保険者証」という有効期限が数ヶ月の保険証を市区町村から渡されます。

 納期限から1年経過すると短期被保険者証が取り上げられ、代わりに「資格証明書」を渡されます。資格証明書とは医者にかかった時にとりあえず窓口で全額負担し、後日申請により自己負担分以外を支給してもらうというものです。通常、医療費の自己負担は3割ですが、資格証明書を受けた方は窓口では10割負担になります。

 袖ケ浦では、昨年度「短期被保険者証」は243世帯、「資格証明書」は292世帯の方々が自分の意志にかかわらず受け取っています。内訳をみますと「短期被保険者証」243世帯中年収200万円以下の方(所得なしも含む)が225世帯でした。

 これって「国民皆保険制度」と言えるのでしょうか???


 病院に行きたくても行くことができない。「そのまま死んでいく」現実が、身の回りにあることをしっかりと見つめたいものです。(続く)









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国民健康保険制度 [医療問題]

今日から袖ケ浦市議会が始まります。議案の中には補正予算があり、その中には国保、後期高齢者医療特別会計、介護特別会計等の予算や、特に上下水道にかかわる議案等重要なものが見られます。その中から今日は「来年度から国民健康保険が都道府県化」される問題について取り上げてみましょう。   Kawakami

 現在市町村ごとの運営になっている国民健康保険を2018年度から都道府県化するための準備が行われています。それはなぜでしょう?

 国保はもともと戦前に、戦地に国民を送り出すために健康でなければと設けられたものです。1958年に「国民皆保険」実現のために現在の国保法ができました。しかし徐々に医療費が高くなってきたことと、高齢者が増えてきたことから、もともとは国がその財源を保障すべきものを、80年代に入って、その補助額を下げ、国保税が引き上げられるようになりました。自治体は一般財源から国保に繰り入れしたことで何とか急速な引き上げを抑えてきた実態があります。

 しかし、この結果国保税が高すぎて払うことができず正規の保険証を取り上げられて資格証明書や短期保険証になり、治療を受けられないままの「手遅れ死」が社会問題化しています。

 国保法第1条には「この法律は、国民健康保険事業の健全な運営を確保し、もって社会保障及び国民保険の向上に寄与することを目的とする」とあります。国保は社会保障制度なのです。

 さて、今の制度が都道府県単位になれば、どのようなことが起きるのでしょう。それを明日書きます。

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社会保障推進千葉県協議会の巡回 [医療問題]

 国民健康保険制度という制度があります。もともとは戦前に、戦地へ国民を送り出すために健康でなければと設けられたものです。それが1958年「国民皆保険」実現のため現在の国保法ができました。農漁業、自営業など、低所得者が多いことも国は最初から承知していました。
 ですから協会けんぽや企業負担がない分国は財政補償をする必要があります。しかし国は80年から補助金を下げてきたため国保税が引き上げられました。

 さてこのことで、自治体が一般財源から国保へ繰り入れをしたことで、税金の値上げを抑えたり、引き下げを実施したところもあるのです。
 
 一方国保税が高すぎて払えず、正規の保険証を取り上げられ、資格証明書や短期保険証になり、治療を受けられないままの手遅れ死が問題になっています。
 この国民健康保険事業は、その第1条に「この法律は、国民健康保険事業の健全な運営を確保し、もって社会保障及び国民健康保険の向上に寄与することを目的とする」とあります。国保はきちんとした社会保障制度なのです。

 過日「生活と健康を守る会」の方々が。この社会福祉関係の袖ケ浦市におけるアンケートに対する質問をするための集会があり、市役所関係職員が30名近く参加され、回答の不十分な点について質問を受けておりました。特に袖ケ浦では、最近廃業された産婦人科病院がゼロになったことからくる問題や、要介護要支援認定患者について2000人を超す人たちがいること等、詳しく読むと大変な状況であることが浮彫されてきています。

 今この国民健康保険を社会保障制度から、医療費抑制と徴収制度強化の第改悪を進めようとしていることをきちんと見抜くべきでありましょう。なんでも大きくするコことが良いことではないのです。
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救急病院を考える・・・医療問題追加 [医療問題]


鉄道研究家の山の井さんが、私の医療問題を読みすぐメールをくださった。一方22日の東京新聞(同日の千葉日報)に、千葉県立全6病院で「労働基準法違反違法当直勤務」のことが書かれている。この記事を読む限り、『救急病院勤務』は、労働基準法上から言えば本来成立しない勤務形態である・・としか言いようがない。

このことを一体どのように考えたらよいのであろうか?

山の井さんは、県内の様子を知らせてくださった。そのまま掲載させていただく。

▼千葉県内の三次救急病院
君津中央病院
成田赤十字病院
東京慈恵会医科大学付属柏病院
船橋市立医療センター
順天堂大学医学部付属浦安病院
国保松戸市立病院
亀田総合病院
日本医科大学千葉北総病院
千葉県救急医療センター
国保 旭中央病院
東千葉メディカルセンター→東金市

うち、君津中央と千葉北総の2つの病院にドクターヘリの基地があります。

▼ 君津県内4市を除く、県内救急病院状況(上記と重複もありますが・山の井さんブログからそのまま転載させていただきました)
参考までに、安房地域では。三次救急→亀田総合病院
君津中央病院は三次救急の病院の位です。

二次救急→安房地域医療センター、館山病院

位はわかりませんが、救急指定病院→鋸南国保病院、南房総市富山国保病院、小林病院、中原病院、小田病院、東条病院、鴨川市立国保病院
精神科の病院→三芳病院、田村病院、東条メンタルホスピタル

安房地域では24時間救急受け入れは、亀田総合病院と安房地域医療センター。
安房地域の医師会により、病院の夜間・休日の当番医の輪番制がくまれています。

ドクターヘリは、君津中央病院に常設基地があり、安房地域も受け持ちます。

救急車は鋸南分署、館山消防署本署と神戸・西岬・白浜の各分遣所、千倉分署、鴨川消防署本署に。亀田総合、館山の各病院と安房地域医療センターの3箇所にも救急車が配置あります。

富津市金谷の方が、鋸南国保、富津市山中から君津市や大多喜町までの山間部の方は、鴨川市立国保または亀田総合の各病院に、通院される方は少なくないです。

夷隅・長生の外房地域には三次救急の病院がないため、亀田総合病院に運ばれることは、少なくないです。

千葉県北東部は、旭中央病院と成田赤十字病院しか三次救急の病院がないので、ある意味、北東部と南部は医療過疎です。

▼ 結局、私の命を救ってくださった君津中央の救急室の先生方は、労働基準法違反のままの勤務体制で、続けていくことになるのであろうか・・・

★ このことの責任はどこにあるのであろう。山の井さんは「気が早いですが、来年3月の千葉県知事選挙の争点にしてもいいように思います。」とありましたが、やはり政治の責任なのでしょうね・・・

                               kawakami

自らの体験から医療問題を考える  その8・最終版 [医療問題]

 日本全国で職業の種類というものはどのくらいあるものかについて考えたことがありますか?もちろんいろんな説がありますが、ここでは厚生労働省の職業分類をとることにいたしましょう。ここには約2万8千の職業名が収録されているとのことです。

 何のためにこんなことを書いたのでしょう。実は焦点を絞りたかったのです。それはこれほどの数の職業があったとしても、人間、生まれてから死ぬまで、そのいのちそのものにかかわる職業と言えば意外に少ないのです。

 生まれた時の助産婦さん、成長に従って、保母さん、幼稚園の先生、小学校、中学校、高等学校、大学と、人間の魂を育てる職業、そしてこの間も、そのあとも人間の命の痛みをいやす職業としての医療に従事する人たちの職業が浮かんできます。そして一生を終え、旅立ちを送ることを職業にしている人たちがいます。

 南米パラグアイ国に、日系人が住むイグアス移住地というところがあります。その町はずれに「アベ柔道整骨院」という医院があります。治療は荒っぽいけれど、一発で治るという評判で、遠くアルゼンチンから、団体バスで訪ねてくる人もいるという・・これは事実です。

 この先生の診療所はオープン出入り自由です。年に2~3回は強盗が入るそうです。
でも先生は、何もしません。持っていきたいものを全部持って行かせます。強盗が先生を殺したり、けがをさせたりすることは決してないという伝説です。殺したりけがをさせたりしたら、大変なことになることを強盗も知っているからだということです。
 お金のない貧しい人たちが持ってくる、畑のものなどが治療費になります。アベ先生今もお元気でしょうか?20数年前、先生と直接会って聞いた話です。

 ペシャワール会という会の中村哲先生のことは、多くの方はご存知でしょう。
ペシャワール会は1983年年9月、中村医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGO(NPO)団体です。
 1984年、中村医師はパキスタンのペシャワール・ミッション病院ハンセン病棟に赴任し、医療器具や手術設備が不十分な環境の下で、10年間診療活動を続けました。

以降今日に至るまで32年間、アフガニスタンを中心に医療活動を続けるとともに、2000年には、大干ばつに見舞われたアフガニスタンの村々で水源確保事業を開始し、飲料用井戸約1600本と直径約5mの灌漑用井戸13本を掘削、カレーズ(伝統的な地下水路)38ヶ所の修理をし、村を復興させるというすごい仕事をなさっています。
中村先生の周りには、いつも銃を担いだ村民がいます。先生を守っているのです。

医療という職業を選択し、従事するということは、志のいることなのだな…と私は思っています。幾度命を救っていただいたことでしょう。数えただけで5度あります。
まだまだ書き足りないのですが、感謝を込めてこの項を閉じたいと思います。

kawakami

自らの体験から医療問題を考える ̄その7 [医療問題]

 自分の病気体験ということで、入院先の君津中央病院のことを書き連ねてきた。しかし考えてみれば、救急車で前回は2か所、今回は3か所目で入院ができたということだ。幸いなことに「たらいまわし」にはならなかったけれど・・一体地域の医療体制はどうなっているのか?その資料を並べておきたいと思う。

▼ 4市にどれくらいの医院があって救急病院は?

 気づかず暮らしているけれど、体調を崩し医者に行こうとなって考える。一体どこの医者へ行ったらよいのか。

袖ケ浦市  病院   1   医院  40
木更津市  病院   9   医院  81
君津市   病院   4   医院  44 
富津市   病院   3   医院  39
合 計   病院  17   医院 194

※  病院とは20床以上のベット数を持ち、3人以上の医師がいること。
総合病院は200床以上、5科以上の医療分野を持つ病院
医院とは1人の医師と数名の看護師がいればよい
   (歯科医師除外)

 この中で、救急車の搬送先は一応病院と名の付くところになっている。君津中央の分院を入れて18病院のみ。しかし、本物の救命救急病院は1か所しかない

★ 救命救急病院  君津中央病院
★ 救急告示病院  上総記念病院  木更津東邦病院  萩原病院  玄々堂病院
          東病院   君津中央病院大佐和分院  袖ケ浦さつき台病院
★ 他病院     石井病院  加藤病院   木更津病院  重城病院  薬丸病院
          高名清養病院   君津山の手病院  鈴木病院  千葉芙蓉病院
          三枝病院 
 
※ 救急告示病院とは、病院診療の可能な範囲で引き受ける病院
※ 他病院・・初期救急

 君津中央病院救命救急部門に搬入される数は、今年5月は946人という記録がある
そのうち785人が休日時間外というのだから、その人数の中に入ったということは、運が良かったものと言わねばならない。
 それにしても、「救急告示病院」というのは、名前だけで、実際の救急活動をする意志のない病院のことを言うのか?すべて民間の病院であるだけに強制もできない。経営者の経営理念が問われる質のものであろうに・・。(次回終了

緊急医療体制.PNG





自らの体験から医療問題を考える~その6 [医療問題]

▼ 君津中央病院6F西病棟におけるチーム医療の体験 ・・プロとしての輝き

「師長の馬作(うまたて)です。治療のことで気になることがあったらなんでも話してくださいね。」
と、真っ先に声をかけてくださった方が看護師長であった。6F西病棟は「呼吸器外科」の病棟で、正確ではないが80床程度のベット数であると聞いた。そこに30人ほどの看護師さんたちが働いていらっしゃる。

「かわかみさんですよね・・そう呼んでよいのかな?実は私の旧姓がカワカミなのです。それでちょっと戸惑ってしまいました・・」
 と声をかけてくださったのは刈込看護師。刈込さんというお名前の知人が富津にいらっしゃる。ひょっとして奥様かと思い尋ねたが、同じ富津だったけれど、知人とは違っていた。でも親近感がわいてくる。

 30数人の看護師さんそれぞれが、それぞれの個性そのままに語りかけてくださる。語り口や内容は違っても、共通することは、看護師という職業に徹しておられて、プロとしての誇りが自然とにじみ出ているのが分かるのである。交代ごとに挨拶に来られる。正確に情報は次の担当に連絡されていることは、引き継ぎ者に聞かれる事項ですぐわかる。

 30数人のお世話になった看護師さんたちのお名前を記録しようと思ったが、17人で終わった。私の年齢のせいかお名前とお顔が一致しない。退院時の担当は
「お名残り惜しいですね。でも、もう戻ってきてはいけません・・」
そういってニコッと笑ってくださった。松本さんであったろうか、錦織さんであったろうか?
 師長さんを中心に、一糸乱れぬ介護集団お一人お一人に、熱い感謝の念を捧げたい。

▼ 4人の呼吸器外科の先生チーム

 毎日午前中4人の先生が一緒に回診に回ってこられる。飯田先生(部長)、田村先生、尹(ゆん)先生、海寶先生の4人である。それだけではない。海寶先生、尹先生、田村先生も、勤務の合間を縫ってであろうか、思わぬ時間にひょいと現れ「お変わりありませんか?」と声をかけていく。チームが一つになっている。私にはお若い尹先生、海寶先生は研修医の先生かな?(まちがっていたらごめんなさい)と思っている。

 1F外来の壁面には、『研修医制度』について説明がついている。現在の制度では医師免許取得後に、2年以上の臨床研修を行うよう努めるものと定められている(2004年実施)。君津中央病院では、この制度を利用して、研修医と先輩医師とのチームを創り、チーム医療体制を確立したものと私は見ている。
 1F消化器外来でもお世話になっているのだが、丸山先生、妹尾先生、そして現在の石井先生と、私は3代の研修医にお世話になってきた。胃がんの手術も、胆管炎症も快癒させていただいた。私はこのチーム医療体制に万全の信頼を抱いていることを表明したい。

▼ ゴット・フインガーは必要ない。

 2日間の連休の時、田村先生が勤務であった。2日目に
「かわかみさん、もう大丈夫だから、今日チューブを抜きましょう。」
と言ってくださった。チューブが皮膚にくっついて、抜く時は痛いのだろうと思っていた。

「ハイ息を吸って・・いいですよ・・静かにはいてください・・」
その声に合わせて、先生はチューブをスーッと抜いてくださった。痛くもなんともなかった。「先生、神の指ですね・・」というと「そんなのないですよ」と軽く言われた。

 確かに、チーム治療では、治療方法に確信があるのだから、特殊技術など必要がないのかもしれない。どこかの大学病院で、特定の先生が何人もの患者を死なせてしまった記事が出ていた。この病院には関係のないことだけど・・・(続く)


自らの体験から医療問題を考える~その4 [医療問題]

▼ 君津中央病院救急室

 君津中央に着いた。救急患者入口からストレッチャーに移され、すいすいと運ばれたところが手術室であった。小柄な女性がついて指揮しながら運んでくれた。この女性、運びながら耳元でささやくように声をかけてくれた。

「かわかみさん。ついてこられた女性はかわかみさんの奥様ですか?」
「はい、そうです。」
「お若いですね…ひょっとして娘さんかと思った・・・」
「後でそのように伝えますね・・・再婚なものですから・・・」
「川上さん、やりますね・・・寝込んでなんかいられませんよ。私たちのチームが必ず治しますからね。奥様のためにも早く元気になるんですよ・・・」

 80過ぎの年寄りのじいさんにかける言葉としては、決してふさわしい言葉とは言えないと常識的には思うかもしれないけれど、当人の私にとって、なんとさわやかに聞こえたことであろうか・・・。私はディズニーの漫画に出てくる、茶目っ気のある妖精が目の前に現れたのかと思った。・・・あいまいな記憶の中に、今もその言葉が、天女の声のようにも聞こえている。(この方のお名前は残念ながら不明であった)

「はっ、はっ、はああ・・」と苦しい呼吸を続けながらも、私の心の中に、手術に耐えねばならぬ・・という意思がわき出てくることを感じた。

 救急室のメンバーは、すべて若い人たちで構成されていたようだ。準備は待つ間もなくできた。誠実という言葉を絵にして額に飾ったような方が、いつの間にか手術台のそばに立っていた。

「かわかみさん、ちょっときついけれど、すぐ終わります。麻酔もかけますが、局部麻酔なので、少しつらいかもしれません。頑張ってくださいね。」

 そういうと、一息つく間もなく、グぐグぐグううううう・・と、めり込むような疼痛が、わき腹を走った。思わずあげていた左手を降ろそうとすると、素早くその手を支えてくれた方がいる。
「もうちょっとです。頑張りましょう!」
その声と共に、二度目のすさまじい疼痛・・・これは激痛ではない。肉を切り裂くのではなく、千枚通しで、肉の間にむりやり揉み込むような痛さであった。

 疼痛が去った。
「さあ、もう通りましたよ。あとは結んで終わりです。」
手際がよいのであろう、流れるように手術が終わり、痛みが徐々に薄れ、気が付くと病室に運ばれていた。

「はっ、はっ、はっ、はあ・・・」という息遣いが、いつの間にか「はあ、はあ、はあ」になり「はふー、はふー・・・・」と変わってきている。肺胞にたまった血液が、作られたルートを通り、外部に導き出されていることが徐々にわかってきた。この夜は、数分おきかと思われるような回数で、看護師さんが、気が付くたび目の前に立っていた。

 救急室に入って手術をし、必要な処置をして病室に行くまで、30分ほどの時間ではなかったのか?まさに流れるような見事な連携治療。ICU隠密集団が、あの病院には隠されているのかもしれない。

★ 手術説明図跋渉(この説明図を書かれた与儀先生が、『誠実を絵に描いて額にはめた』ような先生であったのであろうか・・)
   手術・処置名    胸腔ドレナージ

胸腔ドレナージ.PNG






自らの体験から医療問題を考える~その3 [医療問題]

▼ 三日目の夜、一眠りした午前3時ころ、急に胸が苦しくなった。息ができなくなった
のだ。何らかの調子で、肺胞を傷つけてしまったのであろうか・・・息遣いが激しくなる。「はあ、はあ、はあ・・」と言った調子で吸い込むことができない。今回はすぐ救急車を頼むことにした。たくましい青年救急士が3人、電話で話した通り5分以内で到着した。動けない私を軽々と、痛みを感じさせない配慮を含めて、車に乗せこんだ。

 車の行先を決めるため、リーダーの救急士が、電話をかけている声が聞こえてくる。昨日まで通院していた病院である。その病院からは断られた。正直断られてほっとした。「あの病院では治らない」という気持ちが湧いていたのである。なぜなのかはこの文章の後半部分になれば明らかになるであろう。

▼ 鈴木病院から君津中央病院へ
 次の病院へ電話を入れる。君津の鈴木病院である。袖ケ浦からは一番遠いところだけど、よくそのそばを通っていたことがあるので、病院の所在は分かったが、内容がよく分かっていたわけではない。救急車はその病院目指して走り出した。鈴木病院では、状況に即応され、到着と同時に真直ぐCT室に送られ、レントゲンと併せ撮影した。撮影された写真を見て、担当の先生は決断された。

「この病状は、直ちに手術しなければならないことから、当院施設・スタッフの状況では残念ながら手術不可能である。すぐ君津中央にお願いすべきだ。私が直接お話ししよう。CT資料、レントゲン結果も救急車でそのまま持って行っていただこう!」
 こう話されて、電話された。結果は簡単に出た。文句なく承諾していただいたのである。「鈴木病院とはこのようなスゴイ先生のいらっしゃる病院であるのか・・・」
 と苦しい息の下で私は思った。ありがたいことであった。前者の病院との違いは明白であった。なお先生のお名前は横溝先生という方であることが君津中央からの文書で判明した。

 直ちに君津中央目指して車は走り出したのである。この間息が楽になったわけではない「はあ、はあ、はあ・・・」の状況から「はっ、はっ、はっ、はあ・・・」と言った状況・・・つまり一層苦しくなっていた。

 車が走る。ガタガタと揺れる度痛みが走る。息が苦しい・・・死ぬということは、こういうことなのだな・・息ができなくなったとき、押しつぶされるような胸の痛みの中で呼吸困難に陥る。場合によってはそのまま静かに息を引き取る・・・それが死の現実の姿なのだな・・・私は揺れる車中で、そんなことおぼろげに感じ、思っていた。(続く)


自らの体験から医療問題を考える~その2 [医療問題]

▼ 順番を待つ・・ひたすらに待つ・・待ちくたびれた後に・・

 その病院は木更津市にあった。病院の名誉のためにあえて名前は書かないことにする。
正面玄関はすでに閉じられ、奥の夜間入口から病院内に入る。入れすぎたエアコンの冷え冷えする長い待合所に、30人ほどの患者が暗い顔をして待っていた。行き来する看護師たちの数が、圧倒的に少ない。疲れ切った表情からは、患者さんたちは決して元気をもらえないであろうに・・・と思いつつ、順番を待つ。とにかく待つ。それでも1時間ほどで順番が来た。

 静かな中年の先生であった。状況を聴くと、すぐCTとレントゲンを指示された。「レントゲン室の前で待っていてください」と言われ、その場所に移る。そこでも呼ばれるまで待つ。ひたすらに待つ。しかしレントゲン室は使用中の赤ランプが輝いていても、呼び出しはない。

 待ちくたびれて聴きに行こうとしたとき、担当の先生が足早に歩いてきて、レントゲン室に入った。慌ただしく人の動きがあったかと思うと、あわてるように技師がレントゲン室に入り込んできた。いままでどこにいっていたのであろうか・・何があったのかはわからない。

 ようやく撮影が始まった。その結果わかったことは。肋骨が3本折れていること。肺胞内部には損傷がないこと。だから静かに休んでいることを指示され、腕の皮膚の擦り傷の手当てをしてくださった。この間3時間半。痛みは取れていないが、疲れた暗い気持ちのまま帰宅し就寝する。

 翌日もこの病院へ行く。今度は『内・外科』の先生に呼ばれた。昨日は整形外科であった。この病院の先生は、出向が多いらしい。また同じ写真を撮らされ、今日は胸部の損傷の確認をしたという。やはり同じ診断である。スリ傷の手当てをして帰宅する。翌日も「スリ傷の手当」だけでよいという。かくて三日間が過ぎてしまった。(続く)


自らの体験から医療問題を考える~その1~ [医療問題]

自らの体験から医療問題を考える~その1~
 
▼ 「人生一寸先は闇」
「人生一寸先は闇である」という言葉がある。我が家では孫たちの慶び事が二度続いてきていた。「ひょっとして三度目もあるかもしれない・・三度目はなんだろうね」家内と二人そんなことを話していた矢先のことである。 
里山づくりに参加している友人に、以前から頼んでいたことがあった。
「丁度ホタルが最高に出ている時期だから案内するよ・・・」
とのお誘いを受けたのだ。断る手はないと早速出かけることにした。

 ホタル狩りの注意事項として
① 泥地もあるので長靴があればいい。
② 長ズボンに長靴を
③ 懐中電灯
等々の注意を受けた。5月26日(日)夕刻出かけるべく玄関で長靴を出そうとした。靴箱の背後の方にあると聞き、脚立を持ってきて、安定させ、トントンと脚立に登った。

 我が家の各部屋にある、タンスとか冷蔵庫とかには、地震に備えて壁面に打ち付けたり、地震対策の棒つかえなどをしていた。玄関の靴箱も当然そのようになっているものだと思い込んでいた。脚立の上段に上るとき、軽く靴箱の上に手をやり、打ちつけてあると思い込んだまま、引くように力が加わったらしい。その途端、靴箱全体が手前に引かれ、倒れかかってきた。そばにいた家内はあわてて靴箱を抑え、靴箱自体の倒壊は免れたものの、私自身はどうなったのか。カラダのバランスを失って、玄関床面に腰から落ち込み、対面の引き戸を打ちとばし、上がり框の角にずしっとめり込むように腰をぶつけてしまったのだ。

 瞬間息が止まった。ようやく履物の散乱した床の上に座り込み、数分間動けないまま息を整えた。「救急車を呼ぼう」と、家内は言ったが、時刻は6時半を回っている。夜間営業の病院なら間に合うと思い、そこを紹介してもらい行くことにした。

                          kawakami(続く)

地域包括ケアシステム [医療問題]

 4月1日エイプリルフールである・・・が、しかし、ふざけた話ではなく、まともに喜ばしいニュースが舞い込んできた。今日到着の「広報・そでがうら」の中に「介護保険・介護予防特集」というのが入っていて、その報告は、間違いなく「地域包括ケアシステム」が一歩一歩積み上げられてきている内容が、見えるように書かれていたのである。

 特に、目を引いたのは「袖ケ浦市医療介護連携推進会議」という会議の第一回目が開催されたということにびっくりした。この記事の中に「高齢者を中心に、連携を実感できたとき」についての意見が活発に出たことが書かれてあった。
 医療でも、介護でも、並大抵の仕事ではないと思う。その中で一人一人の高齢者の患者との触れ合いを大事にして奮闘していらっしゃる。ありがたいことであると思う。

 袖ヶ浦市の行政の中で、この部分が財政にかかわる事項を除いて、一番進んでいるのではないだろうか?

⓵ 「地域包括ケアシステム構築」を民間に委託することなく、行政が責任をもって推し進めていること。
② 行政側の担当課職員(保健婦さんも含めて)と、医療関係で率先して取り組まれている先生や、理学療法士の方々の協力が密になってきていること。
③ 介護関係の事業所間の連携もともに進んできていること。

 介護に関する国の制度自体は、決して良いとは言えなくても、その中で、この地域に根差したシステムを作り上げようと努力なさっておられる方々の姿が、具体的に見えることが素晴らしいことであると思う。

 今日の冊子は、関係者に感謝の意を込めて、大切に保管しておきたい。

kawakami

「地域包括ケアシステム」構築への挑戦 [医療問題]

9月27日に行われた「超高齢者化社会をポジティブに生きるために」と題した、さつき台病院副院長・猪狩先生の熱気あふれる講演では、先生の訴えに、参加者の皆さん、惹きこまれるように聞き入っていました。
現状のままでは、医療崩壊を招きかねないという実態を前に、どうすれば明るく前向きに高齢者が生きぬくことができるのか・・・という課題に正面切って向き合い、地域を医療・介護、そして行政、市民と一体になって変えていくことへ挑戦するのだという、先生の決意は、今まで聞いたことのないお話でした。

この講演の第二話として、同じ病院の「地域包括リハケアセンター室長」竹内正人先生の講演が、明日11日(土)行われます。「地域でリハビリを進めよう」という演題です。
地元の先生お二人が、一つになってこの課題に挑戦なさるのです。決して聞き逃せないお話です。ぜひご参加ください。

10月11日(土)午前10時~12時    おかのうえ図書館視聴覚室
地域包括リハケアセンター室長  竹内 正人 先生
演題 地域でリハビリを進めよう

開場は9時半から・・入場無料です。

10月11日・超高齢者社会を生き抜くための講演会 [医療問題]

 9月27日、「超高齢者社会をポジティブに生きるために」と題して、さつき台病院副院長猪狩先生のお話がありました。先生は、当日急な入院患者があったため、その対応に追われ、昼食もとらず駆けつけてこられたのです。
先生は、今まで経験したことのない、高齢者社会が間もなくこの国を覆う中で、このままでは、高齢者の人間としての尊厳が傷つけられるだけではなく、併せて医療制度の崩壊を招くということを具体的に話されました。

 この実態を克服するために提起された「地域包括ケアシステムの構築」(病気になっても住みたいところに住みながら、医療の介護を受けることができ、希望を持って生き抜くことのできる地域社会のシステム)という国の指針の中身は、地方自治体の自主性に委ねるというものなのです。それでは自治体による落差が当然考えられます。しかし緊急の課題でありそんなことを言ってはいられない。すぐにでもとりかからねば間に合わないということで、先生は、袖ケ浦を中心に、君津郡4市の広域ケアシステムを創るべく立ち上がったことの訴えでした。

千葉県内には40人程度よりいない理学療法専門医師である竹内先生は、猪狩先生と同じ志を持ってさつき台病院に赴任されました。猪狩先生の講演に引き続き、第二話が次の日時に行われます。熱気のこもった先生のお話にも引き続き是非ご参加ください。

時  10月11日(土)午前10時から
所  おかのうえ図書館視聴覚室
お話の題  地域でリハビリを進めよう!

               事務局