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太田山地下壕 その(2) [戦争]

太田山地下壕 その(2)
                  2024/09/13    

 木更津市太田山地下に軍事地下壕が有り、そのことを調べた元高校教師の栗原克栄(かつよし)氏の記事が東京新聞7月25日に載っていました。
 氏にこの記事について書いて欲しいとお願いしましたところ忙しい中記事を送ってくださいました。これに関連した記事を数回に分けてブログに掲載します。
せき

木更津の太田山地下壕(中間報告)   栗原克榮

太田山に掘られた地下壕 
太田山は今では市民の憩いの場であるが、戦時中には海軍砲台などが設置された軍事要塞であった。昭和18年秋に横須賀警備隊の派遣隊が設置した高角砲が、現在のタワー付近(第1砲台)と忠霊塔(第2砲台)の場所にそれぞれ据え付けられていた。その周辺には、探照灯が2基、約110名の隊員、配電する機関科の建物があったという。太田山の南側、県道23号(木更津末吉線)に面した斜面には、コンクリートで作られたトンネルの入り口がある。
太田山公園内の「特殊地下壕」 戦時中に旧軍などが築造した防空壕を「特殊地下壕」というが、この太田山のトンネルも「特殊地下壕」の一つであり、2007年の市の調査では、4本のトンネルについて幅員と延長の調査に基づき「太田山公園内 防空壕平面見取り図」が作成されている。調査できた範囲内の地下壕は、4本のうち長い2本のトンネルは延長約119メートルで、そのうち1本の最奥部は土砂で埋まっているとある。また4本のトンネルは他のトンネルと何カ所かで繋がっていて、上から見ると阿弥陀籤のようである。一方、太田山の西側きさらづ幼稚園下から反対側の民家の入口に通じて東西に素掘りの隧道がある。市の調査によれば、この隧道の途中から南側に向かう隧道があり、この南北に延びる隧道はその途中で東西に掘られた別の隧道と交差しさらに南の方向に掘られている。また、トンネル群には何カ所か「換気口」も設けられていた。その1つは、山頂から安西家に下る山道の途中に、コンクリート製「換気口」の地上部分が突き出ている。

第三航空艦隊 
様々な証言や資料から、太田山地下壕は、戦争末期に海軍が本土決戦準備のため編成した、「第三航空艦隊(以下「三航艦」と記す)」に関係する軍事施設であったと考えられる。
 「戦史叢書」の『本土方面海軍作戦』などを元に整理すると、三航艦は、1944(昭和19)年7月10日に行われた海軍の組織再編により発令、配備された組織である。この年6月ともなるとマリアナ諸島における戦局は日増しに悪化してきており、離島の防備を促進し航空兵力を拡充することが必要となり、三航艦の編成が発令された。司令部は横須賀海軍航空隊に置かれ、木更津、茂原、香取、横浜、館山、八丈、明治、第2鈴鹿、並びに硫黄島、南方諸島航空隊基地等に各航空部隊が配備された。その後、17日には司令部を木更津航空基地に移転した。
 三航艦は、本土近海に接近した米機動部隊に対し特攻攻撃を行ったり、マリアナ諸島に進駐した米陸軍航空隊に対する攻撃や、本土防空戦を展開した。また、硫黄島に進出し米軍への攻撃や、沖縄戦に協力するため一部の航空部隊を九州に派遣している。沖縄戦の中期(5月)頃より、司令部は奈良県の大和基地へ移動し、大和基地を中核として本土防衛の最終作戦計画である「決号作戦」をすることとなった。そのため、司令部は木更津から奈良県への移動を始め、そうした中で敗戦を迎えた(『海軍通信作戦史』)。
(つづく)

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