袖ケ浦市長裁判被告となる 2 [火葬場問題]
今手元に2015年9月作成の「裸の王様・出口市政の光と影」特集がありその中に「検証その4『朝令暮改』あきれた火葬場建設狂想曲」というブログに書いた記事がある。それを改めて紹介し、火葬場問題の概要をお知らせする。
火葬場問題は何と1977年(昭和57年)以降38年間にわたる袖ケ浦市政懸案の問題である。
従来財政の豊かさから一貫して単独建設が計画され、建設個所を巡って地元の反対による挫折が繰り返されてきたことはこのブログでも何度となく紹介してきたところである。ここでは出口市長就任以降に絞ってのとりくみと経過の問題点を書く。
① 前小泉市長は、平成11年に地元との合意のないままに、火葬場建設予定地として、南袖地区の土地購入を決定し、土地開発公社が16528㎡を11億5000万円という巨額で購入したことはご存知であろう。
この時「地元の同意のないまま建設に踏み切ることはない」という不思議な念書を差し出した。
② 平成19年10月に当選した出口市長は、この懸案を解決すべく、平成20年に入ると地元との交渉に入ったはいいが、あっさり断念。その結果を3月議会で「市内の適所に建設」を表明。
市民の税金11億5000万円は、どぶにすてられた様な結果である。
③ 驚いた議会は、つぎつぎと立て続けに抗議したが、歯牙にもかけぬ態度を貫く。
・平成20年9月議会で「火葬場の南袖計画の断念撤回を求める決議」可決
・平成21年3月議会では、議長から市長への質問書提出。市からは5月に回答が出た。
・さらに21年9月議会には(仮称)「メモリアルパーク検討特別委員会」設置。2年8か月の討議を
経て24年9月議会に報告
④ 出口市政2期目(23年10月)が始まった直後の11月14日。木更津市から火葬場老朽化に伴い新規共同建設の打診が舞い込んだ。しかし議会は「メモリアルパーク検討特別委員会」開催中である。その最中に態度を明らかにするわけにはいかないが、この打診にあっさりと飛びついたことは、議会特別委員会の終わった直後の25年2月15日の全員協議会で、木更津市との共同建設に踏み切ることの表明がなされたことだ。
「議会特別委員会の結果がどうあろうと関係ない」という態度であった。議会も甘く見られたものである。「市内適所に建設」の表明はあっさり消え共同建設への鞍替えである。
以上の経過の過程で徹底的に抜けていたのは何か。前小泉市長の念書問題の解明である。議会も市長もそのことに触れようとはしない。それでなくても購入額の実質は8億円であったとの噂すら巷間では流れている。市民の疑念は誰も晴らそうとはしない。あと一つはこれらの判断は、どこで、誰によって、どんな機関で決定されたか‥という疑問である。ころころ簡単に変わる方針に、市民、議会の声が入ることは全くなかった。庁内密室討議と、その中での市長独断の姿が浮かんでくる。
(明日に続く)
火葬場問題は何と1977年(昭和57年)以降38年間にわたる袖ケ浦市政懸案の問題である。
従来財政の豊かさから一貫して単独建設が計画され、建設個所を巡って地元の反対による挫折が繰り返されてきたことはこのブログでも何度となく紹介してきたところである。ここでは出口市長就任以降に絞ってのとりくみと経過の問題点を書く。
① 前小泉市長は、平成11年に地元との合意のないままに、火葬場建設予定地として、南袖地区の土地購入を決定し、土地開発公社が16528㎡を11億5000万円という巨額で購入したことはご存知であろう。
この時「地元の同意のないまま建設に踏み切ることはない」という不思議な念書を差し出した。
② 平成19年10月に当選した出口市長は、この懸案を解決すべく、平成20年に入ると地元との交渉に入ったはいいが、あっさり断念。その結果を3月議会で「市内の適所に建設」を表明。
市民の税金11億5000万円は、どぶにすてられた様な結果である。
③ 驚いた議会は、つぎつぎと立て続けに抗議したが、歯牙にもかけぬ態度を貫く。
・平成20年9月議会で「火葬場の南袖計画の断念撤回を求める決議」可決
・平成21年3月議会では、議長から市長への質問書提出。市からは5月に回答が出た。
・さらに21年9月議会には(仮称)「メモリアルパーク検討特別委員会」設置。2年8か月の討議を
経て24年9月議会に報告
④ 出口市政2期目(23年10月)が始まった直後の11月14日。木更津市から火葬場老朽化に伴い新規共同建設の打診が舞い込んだ。しかし議会は「メモリアルパーク検討特別委員会」開催中である。その最中に態度を明らかにするわけにはいかないが、この打診にあっさりと飛びついたことは、議会特別委員会の終わった直後の25年2月15日の全員協議会で、木更津市との共同建設に踏み切ることの表明がなされたことだ。
「議会特別委員会の結果がどうあろうと関係ない」という態度であった。議会も甘く見られたものである。「市内適所に建設」の表明はあっさり消え共同建設への鞍替えである。
以上の経過の過程で徹底的に抜けていたのは何か。前小泉市長の念書問題の解明である。議会も市長もそのことに触れようとはしない。それでなくても購入額の実質は8億円であったとの噂すら巷間では流れている。市民の疑念は誰も晴らそうとはしない。あと一つはこれらの判断は、どこで、誰によって、どんな機関で決定されたか‥という疑問である。ころころ簡単に変わる方針に、市民、議会の声が入ることは全くなかった。庁内密室討議と、その中での市長独断の姿が浮かんでくる。
(明日に続く)