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憲法について考える(3) [憲法改正]

憲法について考える(3) 関  巖
  -戦争の歴史(2)-
 日本が太平洋戦争を始めたのは1941年12月8日、真珠湾攻撃からです。その後戦線を拡大し西太平洋、南太平洋、東南アジアを次々と占領していきましたが、半年後の1942年6月のミッドウエィ海戦に負け、多くの主力航空母艦や艦載機を失い、太平洋の制空権、制海権を失ってから負け続けます。その頃から太平洋の制空権をアメリカに握られ、戦線に兵器、物資や食料を送れなくなりました。軍人の死亡原因の一番は餓死です。後方支援のない戦争がいかに悲惨か、このことを取ってもわかります。戦争は総力戦です。
 戦争を精神主義、根性主義で戦おうとしてもダメ。日本は神の国だとか言って絶対に負けないと教え込まれました。正しい情報を国民に伝えず、大本営発表を国民に流しました。敗退を転戦と言ったりしました。
 海戦に反対していた山本五十六連合艦隊司令長官が半年間は大暴れして見せましょう、と言って戦った。まったくその通りで半年後には負け続けました。
 国民にアメリカが攻めてきたら竹槍で戦うと言って竹槍の練習をさせたり、家を焼かれた時は竹の先に縄を束ねた物で火を消す練習を町内会でやったり、膨大な人員やお金をかけて風船爆弾を何万個と作らせて飛ばし、実際アメリカに落ちたのは3個で、森林を燃やす、牛を驚かす、民家を燃やしただけでした。
 このように非科学的、非合理的なことを政府や軍部は国民に強いたのです。国民には自分の頭で判断することをさせず、上から言われたことをそのまま従わせるようにしていました。このような教育を行ってきたのです。
 イタリアは1943年9月に降伏、ドイツは1945年5月に降伏、日本は一人で勝ち目のない戦争を続け3月10日東京大空襲で10万人、8月6日の広島原爆で30万人、9日の長崎で15万人の死者を出しました。またソ連が8月8日、日ソ不可侵条約を破って参戦し、北方領土を占領しました。もっと早く戦争を終わりにしていればこんな犠牲者を出さなくてすみました。
 兵隊の値段は1銭5厘という言葉があります。徴兵するには1銭5厘の招集令状のはがきを出せば集められると言うことです。
特攻隊など今で言う自爆テロと同じ、命を軽く見ていました。


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