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原爆ドーム [平和]

 ヒロシマの友人から、今の「原爆ドーム」の写真が5枚贈られてきました。広島の学校では、8日をどのように取り組んでいるのか・・・メールの一部と5枚のうち3枚の写真を紹介します。
 (袖ケ浦の学校は、当日何か関連する行事はあったのでしょうか?)    kawakami

6日、広島原爆の日は全市小中学校登校日となっており午前中は平和教育(被爆者の高齢化で伝承者という方々のお話を聞きましたがまだ十分には伝承されていないらしく子どもに生々しく伝えることができません。人の体験を自分の話として解釈するには、まだ課題が大きいと思いました)

 午後は職員研修、今年は2代前の広島市長・平岡敬氏を招くことができましたのでかねてから温めていた質問をぶつけてみました。
「平和宣言はいつも長崎が先鋭的、広島は腰が引けてると感じる。あなたと同時代の長崎市長・本島さんは天皇に戦争責任があると発言して右翼に襲われた。その時広島市や市長は同じ発言をして長崎市長を援護できなかったのか」
「日本は戦争の総括ができない。ドイツにできて日本にできない理由は政府の意図かそれとも日本人気質か。」

 この2点でした。93才になる元市長は私の質問にも逃げないで答えてくれました。天皇制を守るということが政府には一大任務なのだ、戦争の総括をしたら天皇制を守れないと政府は考えているのではないか。
 その点、ドイツはナチスの過ちを徹底的に反省謝罪が可能なのだ、と。
 また自分も市長時代にアジア諸国への謝罪を平和宣言で盛り込んだ時は右翼街宣車に市庁舎、自宅周辺を取り巻かれて攻撃を受けた。命の危険も感じて警護を付ける日々があった、妻は毎日近所の人に「騒がせてごめんなさい」と謝って回った。結局自分は政治家には向いてなかった。文学の方が好きで向いてると思う。そんな話も聞かせてくれました。少し好感が持てました。

広島原爆1河原.PNG

広島原爆2河原.PNG

広島原爆3河原.PNG






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