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憲法について考える [憲法]

 憲法について考える(4) 関  巖
  -教育勅語(1)-
 戦争に突き進んだ大きな要因にはこの天皇を絶対とした大日本帝国憲法を中心とした天皇制と、もう一つ大きな要因は教育勅語を中心とした愛国教育です。
 戦争を行うには強大な軍備・兵器と、もう一つ大きなことは国民を戦争に向かわせる心を育てることです。国民の心が戦争を嫌がってはたとえ強大な軍備・兵器を持っていても戦争は行えません。この強大な軍備・兵器と共に戦争に向かう国民の心があって初めて強大な軍事力となります。
 この国民の心を戦争に向かわせるものが教育勅語を柱とする愛国教育でした。
この教育勅語は、明治憲法発布の翌年(1890年)に、道徳の根本、教育の基本理念を教え諭すという建前で出された勅語(天皇が直接国民に発する言葉)で、戦前学校教育などを通じ、国民に植えつけました。
 教育勅語は小学4年生以上の児童が暗記・暗唱させられました。また神武天皇から昭和天皇までの124代の天皇の名前も暗記・暗唱させられ、教師はいかに子供達に暗唱させるかが教師の評価につながり必死でした。 
 四大節祝賀式典の際には、校長は奉安殿より教育勅語と御真影(天皇・皇后の写真)を出し、職員生徒全員で御真影に対しての最敬礼を奉る事と教育勅語の奉読が行われました。
この間児童は直立不動で頭を下げて聞いていました。寒いときには鼻水をすする音だけが聞こえたと言うことです。
 教育勅語を読み間違えることは校長として最も大きな失態であり辞職したり自殺した校長も出たほどでした。
 奉安殿は校門から校舎入り口までの間に建てられ、登下校時や単に前を通過する際にも、職員生徒全てが服装を正してから最敬礼するように定められていました。
*奉安殿・・・学校に下賜された「御真影(ごしんえい)」や教育勅語など勅語類を安置する      建物。
*四大節・・・戦前最も重要とされた四つの大きな節会の日。四方拝(1月1日)・紀元節   (2月11日、初代天皇の神武(じんむ)天皇の即位日とされた紀元前660年の旧   暦1月1日を太陽暦に直した日)・天長節(4月29日、昭和天皇の誕生日)・明   治節(11月3日、明治天皇の誕生日)の総称。
*現在、2月11日を建国記念日とせず、建国記念の日と、「の」としたのは実際に建国   した日ではないため。

 「御真影」と「教育勅語」の諸学校への下賜は1890年(明治23)に始まるが、その下賜数がしだいに増加するとともにその管理規定も厳重となり、学校が火災や天災で御真影や教育勅語が紛失したり破損したりの管理不行き届きは学校長などの重大な責任問題とされ引責辞職や殉職などに至った。「御真影」などは当初校舎内の奉安所に安置されていたが、学校の火事に際して「御真影」を守って焼死する校長などが相次ぐなかで、校舎から離れた地点に堅固な奉安殿を建設し、「御真影」などを安置することが大正期から始まった。奉安殿の建設は1935年(昭和10)以降全国的に実施され、「御真影」はますます神格視された。敗戦後、「御真影」は焼却され奉安殿は取り壊された。


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