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大震災と原発事故から10年 [原発災害]

 「人々の英知は無限春北斗」11日の「平和の俳句」である。
 2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から10年。被災者数15000人、行方不明2525人、さらに福島県での震災関連死は2320人と東京新聞は伝えている。私は東京新聞を購読している。なぜか・・福島原発事故を一貫して追求していること。辺野古の抗議運動を連日絶やさないことにある。このこと自体に東京新聞のジャーナリズムとしての毅然とした信念を感じるからだ
 
 大震災は自然災害と言わざるを得ないが、この原発事故は、国と東電による人災であることは明白である。今日はこのことと関連して、2点どうしても紹介したいことを書いておこうと思う。

 ひとつは、裁判で放射能汚染廃棄物は「無主物」であるという主張をしたことに私は驚きと怒りを感じた。2012年1月12日の週刊朝日に、広瀬隆氏は「東電が責任放棄、追認する国の狂気」という題で怒りの主張を述べている。その一部を紹介しよう。

 福島県内のゴルフ場が放射能汚染されたので、東京電力に除染を求めた裁判で、ゴルフ場側の訴えが却下されたことについて述べたが、東電によれば、原発事故を起こして大気中と海水中に放出された放射性物質は、所有者が存在しない「無主物」という定義だ。これほど不条理な理屈を、なぜ東電は持ち出したのか? ならば、松本サリン事件、地下鉄サリン事件で、オウム真理教がばらまいたサリンも、無主物ではないか。なぜ、オウム真理教の実行犯たちは、死刑判決を受けたのか? 同じように放射性物質を日本全土にばらまいた東電は、業務上の過失ではなく、事故が起こり得る可能性を充分に知りながら大事故を起こし、司法界で「未必の故意」と定義される重大犯罪者なのである。正気とは思えない東電と、彼らの除染の責任を認めない裁判官の頭の中を、理解できる人がいるだろうか。ゴルフ場側は、決定を不服として東京高裁に即時抗告したが、ここまで日本という国家全体が狂ってしまった。

 二つ目は、司法への政治支配に対する危惧が叫ばれている中で、毅然と「私が原発を止めた」という本が出版されたこと。元福井地裁裁判長であった樋口英明氏の著書である。その中の一部を紹介する。

 大飯原発の裁判で原発の耐震性を争点にしました。私の自宅でも3千ガル(揺れの勢いを示す加速度の単位)以上で設計されているにもかかわらず、当時の大飯原発はそれをはるかに下回る700ガルでした。全く見当外れの耐震性です。2000年以降、700ガル以上の地震動をもたらした地震は全国で30
回ありました。原発は平凡な地震にも耐えられないのです。
被害は大きいし、事故発生確率も高い。原発は「パーフェクトな危険」と言えます。

  「福島の10年・今の思いは」昨日の東京新聞28ページから
                   
 「10年は何の節目でもないし、なにも終わっていない」
 「あの日の記憶が一番薄れているのは東電かもしれない」
 「家族に10年の節目などない」
 「被災当時帰れるのは10年先かとため息をついたがあっという間に過ぎた。道は遠い」

                        kawakami



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