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小櫃川の水を守る会結成30周年 2 [産廃処理場]

小櫃川の水を守る会の30年   山田周治
出発点は、10人の農家の主婦の闘いだった。

 1988年2月。小櫃川の支流御腹川上流花立堀の谷に、竹田商事という企業が、小櫃川流域で最初の産廃処分場建設を始めた。
 埋立て面積4ha、深さ60m、容積56万㎥の安定型処分場だった。
計画地直下の谷田で稲作をしていた渡辺みつさん他10人の地元の主婦が、生命の水を守らなければと立ち上がった。彼女達を闘いを支援しようと、高教組の仲間など約40人の有志が集まった。

 1988年8月23日。渡辺みつさん達10人の主婦を中心に、40余名の有志は「小櫃川の水を守る会」を誕生させた。結成と同時に私達小櫃川の水を守る会は、木更津、君津、袖ケ浦、富津、市原の5市の住民達に、産廃処分場設置による小櫃川の水の汚染の危機を訴えて、3万人に及ぶ設置反対署名を集め、地元の4市議会と千葉県議会に陳情したが、同年12月、県議会は陳情を不採択とした。

 1989年3月、私達は次の闘いとして、千葉県公害審査会へ調停を申請した。
審査会は1990年まで8回開催された。

 一方、処分場の建設工事は1989年7月工事は一旦完了した。しかし、私達の様々な取り組みへの対応だろう、本来安定型処分場には規定されていない「水処理施設」が県の指導で追加され、11月30日工事完了となった。

 1990年2月6日、県は竹田商事に対し、川谷安定型産廃処分場の営業を許可した。 私達「守る会」は、直ちに厚生省に対し行政不服審査請求を行った。
しかし、この行政不服審査請求は却下された。理由はこういうものだった。
「処分場とは国民一般の公共の利害を保護することを目的とする規定であって、処理業者が地域住民個々人の具体的な利益まで保護するものではないので、審査請求するものとして該当しない」

 この論理には大きな欺瞞がある。「国民一般の公共の利害を保護する」という、いかにも正義の刀を振りかざした言葉の実態は、ずばり「企業の利益を保護する」ということであるし、その結果発生する「生命を危険にさらす水の汚染」を防ぎたいと、地元住民が基本的人権を守るべく行っている行動は、「個人の利益の主張にすぎない」として、切り捨てているのだ。

営業開始1カ月、堰の魚が死んだ!
投棄開始して2ヶ月で操業停止命令が出された。

 許可が出されると、事業者は直ちに廃棄物を埋め立て始めた。
水処理施設が設置されていたにもかかわらず、処分場から放流水が排出され始めると、排水の流れ込む沢は白濁し、泡が立ち、堰の魚が死んだ。

守る会が分析機関に依頼した結果は、COD45mg/l、MBAS 2.3mg/lだった。
(業者の排出目標値はCOD、BODとも 20mg/l)
操業開始前、県・業者・守る会3者が立会って行った水質検査の結果は、COD4mg/l、MBAS0.0mg/lだったのだ。

 この水質検査の結果を受けて、県環境部は90年5月11日から91年6月まで、業者に操業停止を指導した。だが、投棄停止中も沢水は白濁を続けた。放流水からはシアン 0.06mg/l、ヒ素.039mg/l、COD 143mg/lが検出された。

 危惧が現実となった。 操業を停止させても、水処理施設が作動しても、この汚染を止めることは、できないのか。
しかし、現行の法律体系=水道法、 廃棄物処理法、 水質汚濁防止法、 公害対策基本法、河川法等々では、水道水源の汚染を未然に防止することは難しい。
であるならば、自治体自身が、水を汚染から守る条例を持てばいい。私達はこの結論に達して、行動を開始した。(続く・武田商事排水口)

武田商事の排水口.PNG

 




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