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改めて京葉コンビナート開発を読む 4 [京葉コンビナート]

3.泣く泣く漁場を放棄

 前述のように、漁民の多くは、放棄に反対しながらも、強大な大企業と国家権力の力におされて先祖伝来の漁業権を泣く泣く放棄せざるをえなかった。たとえば、青柳漁協の役員(県との交渉役)をしていた市川市太郎氏は、『毎日新聞』の連載「海に生きる」(1984年1月)の中でこう語っている。

 「組合員の大半は埋め立てに反対でしたよ。県が臨海工業地帯をつくるためだからと、漁業権放棄を迫ったのに対し、組合は3回も“放棄しない”って決議したほどですからね。ところが34年ごろから五井の埋め立てが始まり、泥流が海をおおい貝が3年連続で全滅、ノリもだめになってしまった。県も“もう漁業はやれんだろう”と、組合の腹を読んで、交渉の席上“がんばらずに全面放棄しろ。やれんもんしょうがあんか”と強気になった。泣く泣く放棄したようなもんですよ」(『毎日新聞』1984年1月7日)

 そして、連載記事を担当した記者はこう語っている。

 「東京湾の一連の埋め立てで陸(おか)に上がった元漁民に聞いてみると、みんな『漁を続けたかったが、海の汚染などで泣く泣く転業した。今でもやりたい』ともらす人が多かった。補償金をいっぱいもらって喜んで転業したというのは他人の勝手な推量で、持ち慣れぬ大金で逆に人生を狂わしてしまった漁民がずいぶんいたようだ」(同、1月14日)。



4.補償漁民の半数以上は漁業権放棄に反対
     ~ヤミに葬られた漁業補償金追跡調査結果~

 こうした漁民の思いを実際に裏づけた調査結果がある。「千葉県における補償金追跡調査委員会」が1970年に発行した『漁業権放棄以後における補償漁民の生活変化と補償金の使途に関する調査報告書』である。

 同調査は、海を離れた漁民たちのその後の生活を追跡するため、千葉日報社と県信漁連(千葉県信用漁業協同組合連合会)、千葉銀行などが委員会をつくり、故飯田朝・千葉大学教授らの調査団に委託してすすめられたものである。4漁協の旧漁民456世帯から聞き取りがされた。

 いくつかあげると、「漁業と現在の仕事でどちらが働きがいがあるか」という問いに対しては「漁業」69.7%、「現在の仕事」15.7%、「どちらともいえない」11.8%、である。
「補償後の生活変化をどう感じているか」に対しては「苦しくなった」51.1%、「変わらない」26.1%。「収入が増え楽になった」17.5%。
「漁業権放棄に対する態度」については「反対」52.5%、「賛成」32.5%、「保留」10.5%、「仕方がない」3.2%。
「工場進出でよくなった面」に対しては、「なし」52.2%、「あり」39.2%、「不明」8.5%。
「工場進出で悪くなった面」に対しては、「あり」89.5%、「なし」7.7%、「不明」2.6%──となっている。つまり、報告書では、「転業後の生活より漁業に従事した方が良かった」という実態が浮き彫りにされているのである(くわしくは、調査報告書を参照)。

 ところが、同報告書は公表されなかった。その理由について、調査団の一人は、「なぜなのかはわからないが、ちょうど昭和46年の知事選を控えていた時期で、じゃまになってはまずいと判断されたのでは」(朝日新聞千葉支局編『追跡・湾岸開発』朝日新聞社)と言っている。
 また、飯田清悦郎氏は『欲望のコンビナート』(前出)の中で、同調査報告書は「巨怪な圧力によって地域住民のまえに公表されることなく、どこかにしまいこまれた」と述べ、調査にあたった飯田朝教授(前出)がこう語っていることを紹介している。

 「20余人の学生が、何十日も泊りこみで調べあげた調査の報告書が、行政側から出た結論と違うということでおクラ入りとなった。おクラ入りの背後に行政上の、あるいはもっと別の圧力の存在があったことは否定できない」

 同報告書は、県立中央図書館などごく一部のところに保存されているだけである。


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