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改めて京葉コンビナート開発を読む 1 [京葉コンビナート]

 京葉コンビナートができることによって、豊饒の海であった東京湾がいかに汚染され、漁民たちの生活が崩壊してきたのか・・その関係を調べていたら、思わぬ調査記事に出会った。200年9月と日時の入った、朝日新聞の特集ルポである。東電火力の操業は1974年~1979年である(1号機~4号機)改めて大企業の思うがままに形成された京葉コンビナートの実態を、皆さんと一緒に確かめる意を込めて読んでいきたいと思う。1週間から10日ぐらいの連載とする。kawakami

はじめに~札束でひっぱたかれ、海を奪われた漁民たち~ 

 1950(昭和25)年に川崎製鉄が千葉市の埋め立て地に進出して以降、千葉の東京湾岸はかたっぱしから埋め立てられてしまった。

 海を埋め立てる場合は、漁民たちに先祖伝来の漁業権を放棄させ、漁民を陸(おか)にあげることが必要である。それで、1954年の千葉市・蘇我漁協組合員の放棄をかわきりに、浦安市から富津市までの漁民はつぎつぎと漁業権を放棄させられた。漁業権を全面放棄した漁協は33組合にのぼる。組合員数は1万4631人である。

 これらの人びとは、自らすすんで漁業権を放棄したかのように宣伝されているが、けっしてそうではない。そういう漁民も少なくなかったが、放棄に反対しながらも、強大な県や大企業の権力と金力に屈し、泣く泣く放棄せざるをえなかった漁民のほうが圧倒的に多かったのである。漁業権放棄に強硬反対する漁協に対しては、内部から“暴力事件”をおこさせるなどの謀略がしくまれた。進出大企業への1戸1名以上の就職を斡旋するという約束で漁業権を放棄させながら、放棄後はその約束をホゴにした。

 賭博に誘われ、海を奪われた代償としては決して多くない補償金をヤクザにすべてまきあげた漁民も少なくなかった。安い費用で漁業権を放棄させ埋め立てた土地を大企業に格安の値段で売り渡し、“財界の番頭”(つまりは大企業のカイライ)と呼ばれた人物が長く県知事に君臨した。さらに、権力の手先となって漁業権放棄に暗躍した人物が強大な利権を手にした。──このように、そこには無数の百鬼夜行の実相が隠されていたのである。そのほんの一部を紹介しよう。

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