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自らの体験から医療問題を考える  その8・最終版 [医療問題]

 日本全国で職業の種類というものはどのくらいあるものかについて考えたことがありますか?もちろんいろんな説がありますが、ここでは厚生労働省の職業分類をとることにいたしましょう。ここには約2万8千の職業名が収録されているとのことです。

 何のためにこんなことを書いたのでしょう。実は焦点を絞りたかったのです。それはこれほどの数の職業があったとしても、人間、生まれてから死ぬまで、そのいのちそのものにかかわる職業と言えば意外に少ないのです。

 生まれた時の助産婦さん、成長に従って、保母さん、幼稚園の先生、小学校、中学校、高等学校、大学と、人間の魂を育てる職業、そしてこの間も、そのあとも人間の命の痛みをいやす職業としての医療に従事する人たちの職業が浮かんできます。そして一生を終え、旅立ちを送ることを職業にしている人たちがいます。

 南米パラグアイ国に、日系人が住むイグアス移住地というところがあります。その町はずれに「アベ柔道整骨院」という医院があります。治療は荒っぽいけれど、一発で治るという評判で、遠くアルゼンチンから、団体バスで訪ねてくる人もいるという・・これは事実です。

 この先生の診療所はオープン出入り自由です。年に2~3回は強盗が入るそうです。
でも先生は、何もしません。持っていきたいものを全部持って行かせます。強盗が先生を殺したり、けがをさせたりすることは決してないという伝説です。殺したりけがをさせたりしたら、大変なことになることを強盗も知っているからだということです。
 お金のない貧しい人たちが持ってくる、畑のものなどが治療費になります。アベ先生今もお元気でしょうか?20数年前、先生と直接会って聞いた話です。

 ペシャワール会という会の中村哲先生のことは、多くの方はご存知でしょう。
ペシャワール会は1983年年9月、中村医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGO(NPO)団体です。
 1984年、中村医師はパキスタンのペシャワール・ミッション病院ハンセン病棟に赴任し、医療器具や手術設備が不十分な環境の下で、10年間診療活動を続けました。

以降今日に至るまで32年間、アフガニスタンを中心に医療活動を続けるとともに、2000年には、大干ばつに見舞われたアフガニスタンの村々で水源確保事業を開始し、飲料用井戸約1600本と直径約5mの灌漑用井戸13本を掘削、カレーズ(伝統的な地下水路)38ヶ所の修理をし、村を復興させるというすごい仕事をなさっています。
中村先生の周りには、いつも銃を担いだ村民がいます。先生を守っているのです。

医療という職業を選択し、従事するということは、志のいることなのだな…と私は思っています。幾度命を救っていただいたことでしょう。数えただけで5度あります。
まだまだ書き足りないのですが、感謝を込めてこの項を閉じたいと思います。

kawakami

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