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メディアの正義 [メディア(情報操作)]

会員から届いた「週刊朝日」に寄せた室井佑月の一文である。  kawakami

室井佑月「メディアの正義が信じられない」と落胆
(更新 2015/4/27 07:00)
 作家の室井佑月氏は、かつて育ててもらった出版社を含めて、マスコミの機能破綻をこう嘆く。

*  *  *

 そろそろそろそろ、メディアは頑張るべきじゃないか。わざとそろそろを2回つづけていう意味は、痛いくらいわかっているだろう。いや、わかってないのかな。忖度(そんたく)とやらでみんなわからないフリをしているのかな。自分ひとりが頑張っても馬鹿をみる、とか思って。

 官邸から圧力を受けたという番組があって、その証拠の文書まであがっているのに、どうしてみんなそれを大きく報道しないのか。さわがないの。てか、政府がメディアを脅すなんて、あってはならないことだ。戦争に突き進んでいった時のことを忘れてしまったか。今の状況は怖いし、異常ではないか。
 こういうときこそスクラムを組んで協力し合えばいいのに。叩くのは殴り返してこないやつだけか? 権力の監視役の座はもう捨てた?

 そんな感じであることが、多くの国民にバレてきている。なにしろ自分たちの首を直接絞める秘密保護法が出てきたときも、ただの見物役みたいだった。
 国民に支持されなくなれば、もっと権力にすり寄らなきゃならなくなるだろう。生き残りを図って。自分の会社だけは存続しつづけられるかもという希望にすがって。
 けど、その過程も国民はじっと見ているわけで、結局、「うちらの味方じゃないしね」と見放される。そしたら存在意義がない。

 あたしはもう、メディアのいう正義とやらが、信じられなくなっている。

 ついこの間、「少年犯罪の加害者の実名報道は是か否か」という討論番組に参加した。実名報道をした週刊誌の会社のお偉いさんが番組に出てきて、どうしてそうしたかという大層な説明をしていた。が、それをあたしは信じることができなかった。

 彼は「被害者のことを考えると」といっていたが、それは違うとあたしは思った。だって、あたしはその週刊誌で、被害者の家庭環境を知った。それは子を亡くした母親に追い打ちをかける内容だった。そのことは辛うじて反論できた。

 ほんとうは震災後のその週刊誌の在り方まで、踏み込んで発言したかった。福島原発事故後、原子力ムラの方々の座談会が載っていた。もちろん内容はあちらサイドの一方的なものだった。その後の訂正らしきものはない。

 お偉いさんは「公憤」という言葉を何度か使った。公憤とは社会の悪に対して、自分の利害をこえて感じる憤りだ。家に帰ってその意味をきちんと調べ、よけいに悲しくなった。

 じつは、あたしのデビューはそこの出版社で、その社の人に育ててもらった。だから、対立するのは悲しい。こうして原稿にするのも2週間ほどかかったぐらいだ。

 しかし、あたしは書くことにした。一人前に鍛えてくれたのは、そこの社の人。
 きみはもうホステスをあがるのだから、曖昧な笑みも媚(こび)もいらないと、背中を押してくれたのもその社の人。

※週刊朝日 2015年5月1日号



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