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「袖ヶ浦駅北側開発」論文 [袖ヶ浦駅北側開発]

 去年の夏ごろであったろうか。一人の青年が訪ねてきた。「法政大学社会学部・社会政策科学科」の学生である。目をキラキラさせて、挑みかかるような意欲が体全体から発散しているような好感の持てる青年であった。なんとおとなりの姉崎が実家であるという。

 彼の訪問の目的は、卒業論文でとりくみたい課題に『袖ケ浦駅北側開発における住民投票』をあげ、そのことに係る調査であった。彼は姉崎から木更津に通学した高校時代、内房線を走っていて、袖が浦の海側だけが自然の姿のまま放置されているのが不思議に思われたという。それが大学の上記学部に合格し学ぶうちに、高校時代からの疑問が解決するのかと思われた区画整理事業計画が、日本初のこの種の事業に対する住民投票によってストップしてしまったことで、興味が一層深まったそうだ。

 彼は住民投票がなぜ起きたのか。住民投票が成功し、事業がストップするかと思いきや、区画整理事業は姿を変えて復活し、着々現在進行中であるのはなぜか。この区画整理終了後、3,11の震災もあり海側の発展はどのようになっていくと想定されるのか・・・そんな疑問を提起し、住民投票に深くかかわった、私たちの会長から、いろいろ話を聞いて帰った。

 数日前、一通の分厚い封書が届いた。彼の論文である。第一面には空撮による(グーグル)区画整理事業の全貌写真があり、取り組みの動機から上記疑問に答える形で論文が構成されていた。区画整理の数度にわたる計画と頓挫、現状に至った経緯については、社会学部の学生にふさわしく、区画整理組合の幹部の方を始め、地元住民、行政関係、私たち、あるいは業者の方等に直接会って話を聞き、種々の学説に目を通され、足でまとめた論文という土の匂いが立ち上ってくるような内容であった。

 特に私は区画整理組合幹部の方の話に心打たれた。
「やっぱり開発しなきゃこの町潰れちゃうだろうとね。千葉からずっと木更津まで来てね。ぼさぼさなのここだけだろうと。そんな問題じゃだめだよということで動いたんだよ。」
 こういう良心的な幹部の方の話を拾い出したことだけでも、この論文は成功であったと思う。さすがに論文には、この歴史の背景にあるドロドロした利権のうごめきについては、気づいておられないようだったけれど、それはそれで良かったのではないかと思う。

 彼のこれからの希望は、ふるさとの自治体行政にかかわって、学んだ学問を少しでも生かしたいとのことである。市原市が、このようなすがすがしい人材を見逃さぬよう祈念する。

 Kawakami


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