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★ 東電と袖ヶ浦市の歴史的事実関係~その2~ [東京電力]

★ 東電と袖ヶ浦市の歴史的事実関係
このような状況にある東電と袖ケ浦市は、実は密接な関係にある。どのような関係があるのか・・日常的には、全く関知しないことのようだが、市民として知っていた方がよいと思うこと3点に絞って、この際お知らせしておこうと思う。

1、袖ケ浦発電所の位置づけ

京葉工業地帯の一翼として、袖ケ浦海岸を埋め立てた面積は1200haに及ぶ。そのうち東電は、約一割にあたる112haを取得した。この場所は蔵波・今井地区関係の漁民が海苔養殖に使っていた漁場である。
昭和40年代、日本の高度成長に伴い、首都圏の電力不足が大きく取り上げられ、新しい発電所の建設は緊急の課題となっていた。そこで東電は取得地に、袖ケ浦発電所の建設をすべく全力で取り組みを開始した。

 1974年(昭和48年)1号機の運転開始。順次4号機までの発電機を稼働させ、発電容量360万キロワットの発電所となった。この発電所の完成により、首都圏への電力供給は安定した。送電線については、50万ボルトの高電圧で、蔵波台・根形地区の市内地区から⇒馬来田変電所(木更津)⇒土気(千葉市)⇒そこから首都圏(東京)へと送電している。一方、福島原発からの送電と併せて、片方に何かがあっても、電力不足をきたさないよう、2本のルートで首都圏の電気必要量を補ってきた。またこの火力発電所は当初予定であった石炭火力から、ブルネイ・他諸国から輸入したLNG燃料に変え、日本最新の火力発電所として位置づいていることも知っておかれた方がよい。

2、袖ケ浦市とのかかわり

  ① 発電所による固定資産税、交付金等・・巨額な税収が袖ケ浦市にもたらされ、袖ケ浦市の財政を潤し貢献してきたことは確かである。また多くの社員がこの袖ケ浦に住んでくれた。興味のある方は、この間袖ケ浦市に支払われた金額はどれほどであったか、調査してみられるがよい。
    
② 蔵波台、長浦駅前土地区画整理組合からの保留地購入について
 ▼ 東電は蔵波台組合から10,000坪の土地を4,5億円で購入し、独身寮と職員住宅を建設した。(昭和47年)組合はこの資金がもとになり、時流に乗り組合は無借金で事業を終結させ、終結となった。
 ▼ 長浦駅前区画整理組合については、保養地として250坪の土地を、3,500万円で購入している。(昭和53年)保養所は建設され、 一時は大変にぎやかに利用されていた。

☆3,11の事故以前からの合理化によって、二つの土地は民間業者に処分され、施設は壊され、宅       地分譲されてしまった。かっての賑わいも姿を消し、さびしい限りである。

③  ガウランド敷地も実際は・・・
 前述のように、当初は石炭火力発電所の予定であった。そのため石炭の燃え殻を廃棄埋立する場所が必要となる。そこで購入したのがガウランドの敷地も含む三作地区の共有地約6ha(窪地)であった。しかし当初予定が変更になり燃え殻の埋め立て地は必要がなくなったため、市が袖ケ浦公園の拡張用地として引き取ったという経緯がある。その後ガウランドの敷地として活用されている。過去にこのようなことがあったことは市民の意識に、今は残っていない。

☆ 火力発電開始以降30年の年月が過ぎた。袖ケ浦市における目の前の東電の姿は、地域からの撤退もあり、地域の人たちとのふれあいは消えてしまったようである。その結果、発電所の炎は燃えているが、フクシマとのイメージとも重ならず、目の前にあっても、東電は遠い存在になりつつあるようだ。(続く)


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